モテるか、友達が増えるかだったらどっちがいい?
ブログネタ:モテるか、友達が増えるかだったらどっちがいい?
参加中どちらかというと友達が増えた方が良いかなぁ~
色々な考え方があるし
見方があるから
考えつかないようなことを見つけられそうだし
なにより 人が増えたら話も増えて楽しそうだと思う~
カレーはうどん?ごはん?
ブログネタ:カレーはうどん?ごはん?
参加中ちょうど2~3日前がカレーだったので
このブログネタを選んでみました
基本はごはんですね
カレーなら
うどんよりも細麺の方が好きかなぁ~
家族でひとりごはんで食べてましたw
ダイドードリンコ 復刻堂 ウルトラサイダー
ダイドードリンコ ZeroSLIM COLA
に引き続き飲料水もの
復刻堂 ウルトラサイダー
ダイドードリンコ2009年春夏の新商品と言うことで
平成21年2月16日(月)から発売されているらしい
初代の「ウルトラマン」から「ウルトラマンメビウス」まで
「ウルトラ」シリーズとのコラボレーション飲料
ウルトラマン
ゾフィー
ウルトラセブン
帰ってきたウルトラマン
ウルトラマンティガ
ウルトラマンメビウス があるそうですが
思い出深い ウルトラセブンをチョイス
中身はラムネです
DISSIDIA FINAL FANTASY POTION Cosmos 350ml
や
DISSIDIA FINAL FANTASY POTION Chaos 350ml
みたいにハマルのかなぁw
次は ダイドードリンコ 復刻堂 ウルトラサイダー ウルトラマン へ
復刻堂 ウルトラサイダー
ダイドードリンコ2009年春夏の新商品と言うことで
平成21年2月16日(月)から発売されているらしい
初代の「ウルトラマン」から「ウルトラマンメビウス」まで
「ウルトラ」シリーズとのコラボレーション飲料
ウルトラマン
ゾフィー
ウルトラセブン
帰ってきたウルトラマン
ウルトラマンティガ
ウルトラマンメビウス があるそうですが
思い出深い ウルトラセブンをチョイス
中身はラムネです
DISSIDIA FINAL FANTASY POTION Cosmos 350ml
や
DISSIDIA FINAL FANTASY POTION Chaos 350ml
みたいにハマルのかなぁw
次は ダイドードリンコ 復刻堂 ウルトラサイダー ウルトラマン へ
筑前手蔵屋敷地碑
写真に見る福島区の今昔 坂井康夫氏の作品を中心に
を見ている時に角にあった
筑前手蔵屋敷地碑

隣にあったチラシにはこう書かれてありました
福岡藩(黒田家)蔵屋敷石標
宝暦5年(1755年)7月
昭和63年(1988年)5月
大阪市福島区玉川1-7-5 下福島幼稚園横の
下水道埋設工事現場で
筑前手蔵屋敷地(宝暦5年亥 7月在銘)と刻まれた石標が発掘された
この付近は 江戸時代後期の地図にも
越前米入と記入されている
筑前福岡藩(黒田家52万石)の本蔵屋敷は
中之島3丁目にあったから
この蔵は筑前仮蔵とか 筑前米入と言われていた
この石標の 筑前手蔵敷地 という呼称は
福岡藩の支配下にある蔵屋敷という意味を示しているようだ
福島区内に3つあったと言われる
大名の米入蔵(広島藩 浅野家・金沢藩 前田家・福岡藩黒田家
の1つの遺物が発見された意義が極めて大きい
次は證如上人御旧跡 へ
を見ている時に角にあった
筑前手蔵屋敷地碑

隣にあったチラシにはこう書かれてありました
福岡藩(黒田家)蔵屋敷石標
宝暦5年(1755年)7月
昭和63年(1988年)5月
大阪市福島区玉川1-7-5 下福島幼稚園横の
下水道埋設工事現場で
筑前手蔵屋敷地(宝暦5年亥 7月在銘)と刻まれた石標が発掘された
この付近は 江戸時代後期の地図にも
越前米入と記入されている
筑前福岡藩(黒田家52万石)の本蔵屋敷は
中之島3丁目にあったから
この蔵は筑前仮蔵とか 筑前米入と言われていた
この石標の 筑前手蔵敷地 という呼称は
福岡藩の支配下にある蔵屋敷という意味を示しているようだ
福島区内に3つあったと言われる
大名の米入蔵(広島藩 浅野家・金沢藩 前田家・福岡藩黒田家
の1つの遺物が発見された意義が極めて大きい
次は證如上人御旧跡 へ
松下幸之助 創業の地④ 第二工場跡 ランプ組立工場
松下幸之助 創業の地③ 第二次本店工場 松下幸之助創業の地
の次に訪れたのは
大阪市 福島区大開3-8-37にある初井製本株式会社
の角にある松下幸之助 創業の地④ 第二工場跡 ランプ組立工場
株式会社ヨーコー・ウェルディングさんの看板の下にあったので
てっきりココかなあと思っていたのですが
ヨーコー・ウェルディングさんは
大阪市 福島区大開3-8-35にありました
ココに書かれていた事は
1925年(大正14年)から1934年(昭和9年)
1925年(大正14年) 松下幸之助氏は砲弾型電池式自転車ランプ
の販売量が増加し第一次本店・工場 も手狭になったため
ここ大開町4丁目28番地(当時)にランプ工場を建設しました
初めて ナショナル の商標を使用した角形ランプも
この工場から生まれ 自転車だけでなく 手提げ用にもなる便利さと
外観もスマートでコンパクトな箱型だったことから
需用は大幅に拡大し 大ヒット商品となりました
の次に訪れたのは
大阪市 福島区大開3-8-37にある初井製本株式会社
の角にある松下幸之助 創業の地④ 第二工場跡 ランプ組立工場
株式会社ヨーコー・ウェルディングさんの看板の下にあったので
てっきりココかなあと思っていたのですが
ヨーコー・ウェルディングさんは
大阪市 福島区大開3-8-35にありました
ココに書かれていた事は
1925年(大正14年)から1934年(昭和9年)
1925年(大正14年) 松下幸之助氏は砲弾型電池式自転車ランプ
の販売量が増加し第一次本店・工場 も手狭になったため
ここ大開町4丁目28番地(当時)にランプ工場を建設しました
初めて ナショナル の商標を使用した角形ランプも
この工場から生まれ 自転車だけでなく 手提げ用にもなる便利さと
外観もスマートでコンパクトな箱型だったことから
需用は大幅に拡大し 大ヒット商品となりました
土曜プレミアム・ダ・ヴィンチ・コード
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5月16日のフジテレビ系でやっていた土曜プレミアム
地上波初放送と言うことで映画の時に話題になっていたので
見たい見たいと思っていたんですよ
世界各国で宗教論議を巻き起こし、大きな波紋を呼び社会現象にもなった
最大のミステリーと空前のスケールで完全映像化!
というキャッチがあったので余計に・・・・
ルーヴル美術館に張り巡らされた不可解な暗号
そして 解かれていく暗号と真実
面白かったですね
続編とされる天使と悪魔も
5月15日公開されたみたいなので見に行きたいかな
松下幸之助 創業の地③ 第二次本店工場 松下幸之助創業の地
松下幸之助 創業の地② 第一次本店・工場後に第四工場跡
の次に訪れたのは
大阪市福島区大開1-18にあります大開公園
ココに書かれていたことは
松下幸之助氏:1894.11.27~1989.4.27 (和歌山県海草郡和佐村出身)
この地大開は, 松下電器産業株式会社の創業者 松下幸之助氏が
大正7年 (1918)3月7日, 同社の前身「松下電気器具製作所」を創立した創業の地です
のちに経営の神様と呼ばれ世界中にその名を馳せた松下幸之助氏は
23歳の若さで配線器具の製造・販売を始め,
昭和8年(1933年)に門真市に移転するまでの15年余をこの地で過ごし,
事業の進展とともに逞しく大開から巣立っていきました
松下幸之助氏は大開の人情や風土に育まれ,
大開小学校の保護者会会長や大正14年(1925年)には区会議員に当選するなど,
文字通り大開の一員として充実した日々を過ごしました
松下電器の業容の発展にともない移転を余儀なくされたものの,
終生本籍をおいていたことが物語るように
大開は同氏ときわめてゆかりの深い土地であります
平成15年(2003年)3月, 大開連合町会は,
大開に松下幸之助氏の事蹟を偲ぶよすがもないという現状に鑑みて,
福島区「大開町と松下幸之助に関する事業」委員会を結成し,
その一貫としてかつて松下電器製作所の第二次本店・工場のあった
ここ大開公園に記念碑「松下幸之助 創業の地」を建立することを発意しました
松下幸之助氏の記念碑を建立することは大開の願いと誇りであると共に
一企業の創業者にとどまらず, 社会, 経済, 国家や人間のあり方についての思索, 探究を重ね,
世界文化の進展に貢献しようと諸活動を続けた
同氏の類いなき功績を顕彰するものとして大きな意義があるものと考えます
この趣旨に沿い, 広く一般有志の皆さまにご協力をお願いしたところ多くのご賛同をいただき,
平成16年(2004年)11月27日, 同氏生誕110年のよき日に,
生誕の地和歌山を代表する緑泥片岩を碑石としてこの記念碑を建立し,
大阪市へ寄贈することができました
ご支援をいただきました皆さまに, 心より感謝と御礼を申し上げます
道の碑 の表は松下幸之助創業の地碑になっています
この時 PHPおおひらき松翁会という
はっぴを着た方々が記念撮影をされていました
松下幸之助さんは偉大ですね
次は
松下幸之助 創業の地④ 第二工場跡 ランプ組立工場 へ
の次に訪れたのは
大阪市福島区大開1-18にあります大開公園
ココに書かれていたことは
松下幸之助氏:1894.11.27~1989.4.27 (和歌山県海草郡和佐村出身)
この地大開は, 松下電器産業株式会社の創業者 松下幸之助氏が
大正7年 (1918)3月7日, 同社の前身「松下電気器具製作所」を創立した創業の地です
のちに経営の神様と呼ばれ世界中にその名を馳せた松下幸之助氏は
23歳の若さで配線器具の製造・販売を始め,
昭和8年(1933年)に門真市に移転するまでの15年余をこの地で過ごし,
事業の進展とともに逞しく大開から巣立っていきました
松下幸之助氏は大開の人情や風土に育まれ,
大開小学校の保護者会会長や大正14年(1925年)には区会議員に当選するなど,
文字通り大開の一員として充実した日々を過ごしました
松下電器の業容の発展にともない移転を余儀なくされたものの,
終生本籍をおいていたことが物語るように
大開は同氏ときわめてゆかりの深い土地であります
平成15年(2003年)3月, 大開連合町会は,
大開に松下幸之助氏の事蹟を偲ぶよすがもないという現状に鑑みて,
福島区「大開町と松下幸之助に関する事業」委員会を結成し,
その一貫としてかつて松下電器製作所の第二次本店・工場のあった
ここ大開公園に記念碑「松下幸之助 創業の地」を建立することを発意しました
松下幸之助氏の記念碑を建立することは大開の願いと誇りであると共に
一企業の創業者にとどまらず, 社会, 経済, 国家や人間のあり方についての思索, 探究を重ね,
世界文化の進展に貢献しようと諸活動を続けた
同氏の類いなき功績を顕彰するものとして大きな意義があるものと考えます
この趣旨に沿い, 広く一般有志の皆さまにご協力をお願いしたところ多くのご賛同をいただき,
平成16年(2004年)11月27日, 同氏生誕110年のよき日に,
生誕の地和歌山を代表する緑泥片岩を碑石としてこの記念碑を建立し,
大阪市へ寄贈することができました
ご支援をいただきました皆さまに, 心より感謝と御礼を申し上げます
道の碑 の表は松下幸之助創業の地碑になっています
この時 PHPおおひらき松翁会という
はっぴを着た方々が記念撮影をされていました
松下幸之助さんは偉大ですね
次は
松下幸之助 創業の地④ 第二工場跡 ランプ組立工場 へ

