龍のひげのブログ -74ページ目

闇の核心を解明せよ

よくよく考えれば見えてくることはある。プロファイリングの技法などと言えば大袈裟であるが、自分なりのプロファイリングもどきのやり方で分析、推察を重ねていくと今回の芸能人の闇営業の問題の闇の深さが明瞭になってくる。あくまでも私の個人的な意見なので以下の見解に対して、間違っているとか、ずれていると感じられたのであれば、その理由を添えて指摘していただければと思う。私は専門家でもなければプロの著述家でもないので自説に固執する必要性はないし、論理的に違うと納得できれば直ちに、撤回、訂正に応ずるつもりである。

先ず闇営業の相手である特殊詐欺グループについてであるが、その幹部の人物像についてプロファイリングしてみた。どのような特性が考えられるであろうか。犯罪者を持ち上げるようなことは言いたくはないが、数億円、数十億円規模の詐欺を行っている組織の幹部なのであるから、第一にものすごく「頭が切れる」であろうということが挙げられる。特殊詐欺だけでなく、詐欺は頭の悪い人間には絶対に不可能なことである。第二に、特殊詐欺という犯罪の性質と関連していることであるがものすごく「慎重である」ということだ。慎重さがなければ特殊詐欺は成功しない。すぐに警察に捕まってしまうことであろう。第三に、これも特殊詐欺の性質と関連したことであるが、ものすごく「相手の心理を読むことに長けている」ということだ。これについては敢えて説明する必要性はないであろう。大きな特性とすればその三点であるが、全ての項目に対して「ものすごく」という形容詞をつけたのは、特殊詐欺の統率者は幹部はその三要素が突出して高いことが人物像の特性として考えられ、その特性に見合った行動パターンを示すに違いないということだ。繰り返すが、ものすごく頭が切れて、ものすごく慎重で、ものすごく相手の心理を読むことに長けているのである。

さて今回の闇営業については入江というタレントが特殊詐欺グループとの交渉の窓口になっていた。上記のプロファイリングから推察して詐欺グループの幹部は、犯罪で得た金であるとはいえ300万円ものギャラを支払うのであれば電話の1本、2本で済ませるということは考えられない。直接、面会して信頼関係を構築しようとするはずである。幹部の男にとっては何よりもその信頼関係が命綱になってくる。なぜなら怪しまれて通報されてしまえば終わりだからである。よって幹部の男が告白している入江と忘年会の開催までに10回ほど会ったという話しは、信憑性が高いと考えられるということだ。それではそのその10回ほどの面会の中で果たして入江が幹部の男の正体を本当に知り得なかったのかどうかということである。「ものすごく慎重」な幹部の男はどのように考えるであろうか。信頼関係が熟していない初期段階の面会においては、自分の正体をばらすことはリスクが高過ぎると判断するであろうから、当然隠そうとするであろう。しかし面会を重ねて信頼関係が出来たと判断された時点では、要するに自分の正体を打ち明けても通報される危険性はないであろうということだが、反対に入江に正体を告白することによって、ある種の「共犯関係」を構築しようとするのではないのか。だから幹部の男が、入江に対して「俺たちはモシモシだから」と言って、それに対して入江がそしらぬ顔で「うまく立ち回らないとね」と返したという話しも私は非常に信憑性が高いと考えるものである。よって入江が闇営業の相手が反社であることは絶対に知らなかったと主張していることは、やはりかなり無理のある弁明であると推察される。それであ宮迫や田村亮が本当に知らなかったのかどうかという問題である。この疑問は、入江が知っていたと仮定すれば、入江からその事実を宮迫や田村亮が聞かされていなかったのかどうかということである。入江が知っていたのであれば、宮迫や田村亮に言っていないということは考え難いという以上に有り得ないことであると思われる。なぜなら入江一人だけが知っているという状況は、入江一人が罪を引き受けるということを意味するからだ。多かれ少なかれギャラは全てのタレントが受け取るのであるから、入江がそのような「男気」を示す必要性なり道理が考えられないということである。皆で渡る赤信号ではないが、その罪や心理的な負担は均等に分散されてしかるべきである。それではどのようにして宮迫や田村亮は入江からそのような事実を告げられて、タレント生命を脅かす可能性のある危険な領域に踏み込むことをある意味で説得されたのであろうか。恐らくは、「知らなかったということにすれば大丈夫だから」というような説得をされたのであろうと想像される。宮迫や田村亮やプロファイリングは敢えてしないが、彼らはそのような説得を受け入れてしまうレベルのように私の目には映る。そしてその自己保身の弁明が今も継続されているのではないのか。これがたとえば亮の相方の淳であれば、一見するところ軽薄な印象はあるが、そのような危険な勧誘の場面に遭遇すると「えぇー、それはちょっと」と危機管理の意識が発動し、抵抗感が示されるように考えられる。まあそれが普通の反応であるとは思うが、要は宮迫や亮は人間的な中身がないというか馬鹿なのである。特に亮は、特殊詐欺の成績優秀者に花束の贈呈のようなことまでしていたとのことなので、知っていたのだとすれば、恐らくは知っていたであろうが、道徳心が0であると言わざるを得ない。そういう類の連中が半年か1年経って騒動のほとぼりが冷めたころに、充分、反省したからTVに復帰と言う流れが果たして許されるのであろうか。

されに言えば闇の核心はタレントが特殊詐欺グループの忘年会に参加したことではない。どういうことかと言えば、ものすごく「頭の切れる」幹部の男が、タレントを1回の忘年会に呼ぶためだけに、多大な手間とリスクを犯すことなど考えられるであろうか。常識的に考えてもそれは有り得ないことである。詐欺グループは入江を窓口にして恐らくは吉本興業のタレントと親密な関係を構築することで、芸能界の利権に深く食い込もうとしていたのだと考えられる。これは一時、半グレ集団の関東連合がやっていたことと同じではないのか。一旦、芸能界と深く関係性を結ぶことができれば後は半永久的にその利益を享受することができる。おそらくはそのような目的なり構図があったであろうと推察される。よって現在、表沙汰になっていないことがまだたくさんあるのではないのか。吉本興業もその事実に気付いていて何とかことを終息させようと考えているようにも思われる。ことの重大性、深刻性を考慮するならば中途半端な解明と決着で終わらせるべきではないはずだ。皆さんは今回の私のプロファイリングの内容に関してどのような感想を持たれたであろうか。

 

芸能人の非常識な正義感覚

職種によっては相手が反社であっても取引せざるを得ないことがあることは当然である。TVや雑誌など各種の報道機関がアンダーグラウンドの人間から情報を入手できなければ社会の不正や腐敗を追及できないし、ひいては世の中全体の公益性が保てないではないか。報道機関だけではない。警察だって公にされることはないであろうが、内部情報提供者として暴力団員や反社の人間を密偵として利用し、その謝礼が支払われることはあるであろう。捜査のために必要性があるのであれば当然のことである。警察以外でも興信所などの調査会社が反社の人間の依頼を受けることはできなくとも、特定の調査活動の中で反社の人間を取材したり、謝礼が支払われなければならない場面があったとしてもその行為を禁じたり、批判することはできないはずだ。さらに言えば、医者や弁護士の業務はどうなるのだ。目の前で死にかけている暴力団員の治療行為を医者はしてはいけないのか。反社の人間の弁護活動を弁護士が受任することは許されないことなのか。そんなことはないであろう。相手が反社であっても公益性の追求や最低限度の人権が守られなければならないことは当然のことである。そしてそれらの行為の中で金銭の授受が行われることも避けられないことである。

自動車の販売会社やレンタカー屋が反社の人間に、車を売ったり貸したりできないのは、車が犯罪行為に使われる可能性があるからであり、同様に金融機関に預金口座が作れないのは犯罪資金がプールされることを防ぐためであって、それらは公益性の観点から考えて当然のことである。そしてそれらは報道機関が社会正義を追及したり、不正を暴き立てるために反社の人間から情報を買うことと裏表の関係ではあるが同意義であると言えよう。芸能人の闇営業の問題で、タレントが小遣い稼ぎのために特殊詐欺グループの忘年会に参加する行為と、雑誌社がその事実を暴くために証拠写真を購入する行為を同列に、一矢を報いたように得意気に論ずることが恥ずべきことである。そのような主張を何の疑問も抱かずに平然とできることが日頃から物事を何も考えていない証拠であるとも言える。良きにつけ悪しきにつけ芸能人とはやはり馬鹿の集まりなのであろうか。

 

芸能人の知性と品性

宇宙人系についての話しをさらに進めたい気持ちはあるが、私の思考を監視している(私は狂人ではない)宇宙人或いは地底人が怒って、警告のために日本に地震を発生させているようにも思えるので慎重にならざるを得ない。

ということで宇宙人ならぬ地球人の問題について、話しを方向転換する。芸能人の闇営業についてのことだ。吉本興業の宮迫や田村亮が一連の問題で金銭を受け取っていたことを認めて謹慎処分となった。当初、ギャラは受け取っていないと言っていたことが嘘であったことは認めたが、闇営業の相手が反社であったことは断じて知らなかったことだと強調する姿勢は崩していない。さあ、どうであろうか。一般論として言えば、何か不祥事や問題を発生させた当事者がその内容について嘘をついていたことが発覚したのであれば社会的な信用を失っているので、その他のことでこれだけは信用して欲しいなどと懇願されても、はい、そうですか、じゃあその点については信用しましょうということにはならないであろう。一つ嘘をつく人間は、二つ、三つと嘘をつくと考えるのが世間の通り相場であり、自然な考え方だ。金銭の授受については調査されれば証拠が出るので止むを得ず嘘を認めたが、反社であることを知らなかった点については、知っていたという証拠が出ないであろうから、嘘をつき通そうと考えているのであれば、より悪質であり、また浅はかでもある。今後、仮に知っていたことを認めざるを得ないような状況に追い込まれた時には、もう完全に救われようがなくなるであろう。謹慎どころの話しではなくなるということだ。

「知らなかった」という弁明は微妙な問題を含んでいる。知っていても、知らなかったと強固に主張すれば、確かに客観的に知っていたことを証明することは難しいであろう。それに知らなかったという意味合いの濃淡の問題もある。宮迫らは特殊詐欺グループの忘年会に参加する前には、その現場に行く以前の段階では確かに反社であることを知らなかったのかも知れない。しかし常識的に考えれば、場に参加してその雰囲気を体感したり、グループの人間たちと直接的な接触を持てば、何かしらの危険で反社会的な気配を感じ取っているはずである。また芸能人はそのような匂いや気配に人一倍敏感な人種のはずである。これが仮に暴力団などの宴会などであればまだ「知らなかった」で済まされる余地もあると考えられる。なぜなら暴力団員との交流そのものは問題視されるであろうが、直接的な犯罪行為に結び付いてはいないからである。それに対して特殊詐欺グループの忘年会ということになれば、その場に芸能人が参加することは、直接的で具体的な犯罪を側面から支援したり応援することと同質の意味合いがあると考えられる。指が欠損した暴力団員ほど見た目的に分かりやすくはなくとも、年齢的にも会話の内容などからも反社の気配を少なからず感じ取っていたとすれば、少なくとも確信まではいかなくとも特殊詐欺の可能性の認識には至っていたはずである。そうであれば、その忘年会の直後に吉本興業を通じてことの経緯を洗いざらい報告すべきであったのではないのか。そうしていれば恐らくは会社を通じて、警察に相談されることになっていたであろうから、警察がその気になって調べればそのグループの犯罪性を半日もあれば突き止めていたのではなかろうか。そういう場に参加してしまった事自体は運が悪かったで許される余地はある。しかし参加後の対処を知らぬ、存ぜぬの無視、放置で通そうとする態度は、幼稚、無責任であると同時にそれ自体が犯罪的であるとも言える。なぜなら直後に吉本興業なり警察なりに相談していれば、そのグループを一網打尽に摘発して、その後の詐欺被害を防げた可能性が決して小さくはなかったからである。そういうことを考えれば、この問題についての今の報道は、本当に問題にすべき論点がずれているように感じられるし、宮迫や田村亮なども未だにことの重大性が理解できていないような気がしてならない。芸能人と言う人種は馬鹿なのであろうか。