韓国よ、自立しろ
ホワイト国の除外が決定したが、韓国はこれを文字通りに千載一遇のチャンスと捉えて、日本からの真の自立を果たすステップにするべきだ。いつまでも日本に依存しながら、反日政治ばかりにかまけていても、日本だけではなく韓国自国のためにならないことは明白ではないか。韓国人はもっと自国の政治を批判して新しい国と、新しい政治を作る意識を持つべきだ。ホワイト国の除外程度のことでこれほどまでに大騒ぎする自国の政治に疑問を感じないのであろうか。韓国人は、韓国の政治が真っ当で、嘘がなく、韓国人のためになるものだと本心から考えているのであろうか。文大統領の支持率が高いことから考えると韓国の民度の低さに絶望的な気持ちにもなるが、日本の報道状況を見ると情けないことではあるが、大して違いがないようにも思えて虚しさの中で言葉を失ってしまうものである。韓国の国家としての礎を作り上げたのは紛れもなく日本なのだから、国民性はともかく国民統治という政治性に類似点があることは必然なのかも知れない。よってこれは韓国人だけではなく、日本人に対しても言えることであるが、自国の政治と言うものを無条件に、無前提に信用してはならない。国家権力の言うがままに流されていると国民は全体として必ず不幸に向かうものである。国家権力とは権力維持、浮揚のために国民に嘘をついて、その代価としての不幸や犠牲を国民に甘受させるための装置なのである。そして政治権力は必ず報道機関と密接に結びついている。これらの構図は基本的には、日本も韓国も変わらないものである。日本人も韓国人もそういう政治の構図と本質を見抜く目を持たなければならない。
日本の報道の在り方は問題が非常に大きい。ホワイト国除外については、韓国は輸出管理が適正に行われているかの協議を日本が要請し続けているにも関わらず3年間も無視し続けて放置してきた。そして軍事転用が可能な要注意品目について横流しが疑われる不適切な事実が発覚した。この2点の理由だけでホワイト国除外の決定は、いわば当然の措置であり、韓国が日本の決定を批判できるような筋合いのものではないはずなのである。しかし毎日新聞や朝日新聞はあくまで韓国側の主張に沿うように徴用工問題への報復という視点から報道し続け、挙句の果てにはアメリカの介入を煽り立て、既成事実化させるような政治行為を行っていたものである。そのような報道機関を社会の公器として保護し続ける必要性が本当にあるのであろうか。個人的には時間がある時に、毎日新聞がこのホワイト国除外の問題で、7月以降にどの程度の分量で韓国の輸出管理に関する協議拒否と横流しの疑惑について報道してきたのか、盆休みの間にも図書館に籠って調べてみたいと考えている。
アメリカの介入を期待する日本のマスコミはおぞましい
ホワイト国解除に対して、アメリカの介入、仲裁案の提示を毎日、朝日新聞などの日本のマスコミが期待し、既成事実化させるかの奇妙な報道が続いているが、そのようなメディアは、本業の報道を疎かにして政治運動ばかりをしているせいで肝心の政治を見る目が著しく低下しているのではなかろうか。韓国の見当違いの主張に迎合ばかりしているとそういうことになるのであろうか。事実を歪めているだけでなく、核心の部分で何もわかっていないし、何も見えていないような気がする。何よりもアメリカという国のことがわかっていない。毎日や朝日は、この土壇場においてアメリカの鶴の一声でホワイト国解除が延期になる可能性があると考えているようだが、常識的に判断すればそのようなことは考え難いことである。それ以前に、ホワイト国解除の処置というものを韓国の子供が地団太を踏むかの騒ぎにつられて大袈裟に考え過ぎている。対象品目が千数百にも及んで、韓国経済が大打撃を受けるだけでなくアジア経済の供給網が寸断されるかのように報じられているが、それはキャッチオール規制に対する理解不足から生じているものである。ホワイト国解除になって以降も該当する全ての対象品目の審査が厳しくなる訳ではない。7月上旬に指定されたフッ化水素など半導体材料3品目のように軍事転用の危険性が認められた品目だけが個別審査になるのであって、その他のほとんどの品目はこれまで通りに包括的な緩やかな審査が継続されることになるので実質的にはほとんど何も変わらないはずのものである。実際にアジアでこれまでは韓国だけがホワイトの認定を受けていたが、非ホワイト国の中国や台湾、タイ、シンガポール、ベトナムなどは特段、何も困っていることはないし、経済成長率は韓国と同水準かそれ以上の数値を示しているものである。いかに韓国が日本に依存しているだけの自立する意志を未だに持ち得ない情けない国であるかということが、そのような事実から容易に推察できるのではなかろうか。ホワイト国解除は何も、天地がひっくり返るようにアメリカや世界全体を巻き込まなければならないほどのことではなくて、世界的な基準に従えば些末な問題なのである。
それからアメリカの対応であるが、アメリカは自国の利益に直接的に関係のない問題で、同盟国とは言え、他国が一旦決定した判断を土壇場になって、自国の影響力を行使してひっくり返すようなことはしないはずである。毎日や朝日の政治運動が功を奏するかと言えば、私はその可能性はきわめて低いと考えている。もちろん国際政治には我々には知らされていない不確定要因というものもあるので断言できるものではないが、基本的にはアメリカはそういう国ではないのである。そういうとはどういうことかと言えば、韓国のように場当たり的、感情的に姿勢を変化させるという意味だが、アメリカはトランプ大統領の外交を見ているとそう思えないかも知れないが、水面下では論理的かつ中、長期的な計画性に基づいて動いていると見られる。つまりはアメリカが仮にこの土壇場になって日本の決定に介入するのであれば、7月上旬の半導体3品目についての決定以前の段階で判断を下していたはずである。半導体3品目と今回のホワイト国解除は別の事案ではなくてセットになっている性質のものだから、今頃になって韓国の主張に同調して介入するというやり方は、一口で言えば「アメリカ的」ではないということである。しかしそうは言っても、韓国もアメリカの同盟国であるのだから文大統領に頼まれれば、何もしない訳にはいかないであろうから国務長官が訪韓して話しを聞き、理解を示したりはするであろうが、それは外交辞令の範疇に属するものであると見做すことが自然である。まあ明日になれば判明することだが、私は菅官房長官が最小限の言葉で真実を語っている通りに、「アメリカと意思の疎通はなされている」ということが全てのような気がする。アメリカもまた微妙な立場の役回りを演じているのであろうが、通常であれば一旦、容認した案件を直前で変更するような国ではない。余程のことがあれば話しは別であろうが、アメリカの対外政策はそういう風には成り立っていないからだ。いずれにせよ通常基準に戻すホワイト国除外程度の処置で、巨大隕石が地球に衝突して人類が滅亡するかのような常軌を逸した韓国の大騒ぎに迎合する日本のマスコミに抜本的な改革が必要であることは否めないであろう。
日本のマスコミは時代遅れだ
TBSや毎日新聞、朝日新聞などの言論機関を「左派言論」と呼ぶ人が多いが、私はその言い方が好きではないし、個人的な好き嫌いの問題ではなく、適切ではないとも考えている。なぜかと言えば、左派とか左などと言えば、無前提に存在の正当性や大義を容認していることと同義なのではないのか。確かに我々の生きているこの時空間は、右があれば、相対的に左が存在することは必然である。右だけで左がなければ、右往左往もできない。だから生きている限り左を否定することは許されないと。極論すればであるが左派言論と言うものがこのような単純な論理で永続的な存在を許容される社会体制を国家が保護し続けるのであれば、左派というものの存在意義は物事の道理や真理を突き止めることにではなくて、単に右を批判し、その既存の価値観や安定を揺るがせることによって自らの権益を確固としたものにする方向性で、天邪鬼であると同時に原理主義的な性質なものとならざるを得ないのではないのか。またそのためには、どのような事実の捏造や歪曲、誘導も左派存続のために正当化されることになる。TBSや毎日新聞などが報道ではなくて政治運動を邁進していると見られる基本的な精神構造はそのようなものだと考えられる。このような発言をすると左派容認の立場の人は決まったように、それは典型的な保守思想の左翼批判だと言うが、果たしてそうなのであろうか。私自身は右翼であるとか保守派であるなどの自覚は皆無に近い。自民党には嫌悪感しか感じられないし、日本が素晴らしい国だと考えている訳でもない。そういう次元の問題ではないのである。そういう次元のレベルで国内統治がなされてきた時代も日本には長く続いてきたのであろうが、今はそうではなくなりつつあるということだ。わかりやすく言えば、左の左性や右の右性が、自明で無前提のものではなくなりつつあるということである。だからそのような従来の前提と存在根拠に固執しているTVや新聞を今の若者たちは見なくなってきている。若者は単に消極的に従来の日本の精神構造を受け入れ、消化することを拒否しているだけではなくて、無意識の内に新しい時代への前適応を進めているのだと考えられる。もっとわかりやすく言えば、日本の言論機関は本当の競争原理が働いていないということが最大の問題なのである。だから時代の変化に適応できないし、国民意識と乖離していく一方であり、その距離感を埋めるためにまたTBSや毎日新聞に代表されるような言論は、捏造や誘導の政治運動をより一層、強化せざるを得ないという悪循環に陥っているものである。日本の言論空間と精神構造の在り方を今一度、再考すべき時を日本は迎えている。