トラブルなのか犯罪なのか、はっきりさせろ。
トラブルと犯罪の境界は微妙というか、隠蔽されていて不可視の領域だと外部からは判別できないものである。中居君の問題についても示談金9000万円などと言われても、さすがに一般的な基準で見れば、破格の金額で犯罪性が伴っていたであろうと見做されても当然のことであるが、超有名な芸能人と女子アナのトラブルであれば、一般的な感覚で判断していいのかどうか私のような庶民には分かり得ない世界ではある。前回の記事で私は、希望的観測も含めて違法薬物が使われていたような情報も出ているが、それはないのではないかというような言及をしたがどうなのだろうか、あるユーチューブ動画を見て、見方が変わってきた。大王製紙前会長、井川意高氏が自身のチャンネルで公開している「今フジテレビが一番知られたくない“裏情報”を公開します」というタイトルの動画である。公開後僅か2日で200万回以上の再生がされている。多くの人が知っての通り井川氏はギャンブルによる横領で刑務所に入っていたブラックな経歴はあるが、動画の再生回数を稼ぐために有名人のスキャンダラスでいい加減なゴシップネタを披露したりするような人柄でないことは、普通に動画を見ていればわかることであるし、知的レベルも極めて高く、また交流関係の広さから裏情報に通じているであろうことも伺えるので、信憑性はかなり高いと思われる。もちろん伝聞の情報なので断定することはできないが、中居君の薬物使用疑惑は少なくとも無視できるものでないということは確かだと思われる。よく考えれば確かにそうなのである。中居君の今回の女子アナとのトラブルとその後の展開を考えたときに、どういう内容であればしっくりとくるというか腑に落ちるかを考えた時に、もちろんこれはあくまでも憶測であって一つの可能性のパターンに過ぎないが、以下の通りのあらましと予測せざるを得ないというか、私はそれが自然な推測であると今は思う。まず最初に普通の性行為であれば、たとえそれが性接待といわれる類のものであってもここまで問題は大きくはならないと考えられる。敢えて断定するが、女子アナが一人で中居君のマンションに訪れたのであれば、恐らくはその女性は、性交渉そのものは了承していたのではなかろうか。ところがいざ行って見れば女子アナにしてみれば驚愕すべき不測の事態が生じた。中居君は普通の性行為では満足できないで、薬物を使用し女子アナにも勧めたのではなかろうか。いやゆるキメセクをしようとしたのである。当然のように女子アナはそれを断るであろうが、その場から逃げ帰ることが出来ずに結局、中居君だけが薬物を使用してことに及んだということではなかろうか。それでその場の不穏な雰囲気というか女性の恐怖感にも影響されて、中居君のトリップはバッドに決まってしまって異常なプレイに及んでしまったということである。それが具体的にどのようなものであったのかまでもわからない。しかしそう考えれば女子アナがその後にPDSDを発症したという状況も符合するのである。一人で中居君のマンションに行っていて、強引に性行為をされたということでPDSDというのはあり得ないことではないが、しっくりとこないものである。それで恐らくは、女子アナはその後に会社に訴えたのである。話しが違うと。中居君が薬物の使用者で、キメセクをしようとしていたことなど聞かされていないと。ところがフジテレビはその女性の被害の訴えに全く対応しようとせずに、むしろ外部に漏れないように隠蔽しようとしたということではないのか。それで女子アナは会社に幻滅して辞職したという流れである。もちろん単なる憶測であるので、事実は分からない。しかし私個人は井川氏の動画内容も含めて、その可能性が高いと考えている。それで言いたいことは、仮にそうであるならば、いや結果的にそうでなくてもその可能性も含めて、いわゆる第三者委員会なるものが、そこまで調査、報告できるのかということである。はっきりと言うが無理だろう。なぜならこれはトラブルの問題ではなくて、犯罪の領域の可能性があるので、外部の弁護士であろうと取り調べの強制力が伴わないので限界があるということだ。警察が捜査すべき事案ではないのかということである。その辺りに私は第三者委員会というものの胡散臭さを感じざるを得ない。なざなら仮に中居君が薬物を使用していて、そのことを女子アナが事後に会社に報告していればその事実をフジテレビの社長や上層部は知っていたことになる。それを隠蔽していたというだけでも刑事的な責任が問われる可能性があると思われるが、ましてやフジテレビはその後も中居君を番組に起用し続けたのであるから刑事的な責任は免れたとしても、テレビ局としての道義的な責任は致命的なものである。スポンサー企業の撤退などという生易しいものではなくて、完全にフジテレビ存続の社会的意義が否定される事態となるであろう。お手盛りの調査、報告で第三者委員会は真相を曖昧にして事態を収拾に導くような動きにならざるを得ないとも思えるが、果たして今の状況で、そのような茶番が通用するのか、許されるのか、興味深いとも言えるし、おぞましいとも言えるし、腐り切ったものをこれ以上見せられたくないと言うのか、複雑な心境である。中居君や女子アナに聞き取り調査をするよりも、警察が事情を把握しているはずのフジテレビ上層部を任意で取り調べするか、国会の証人喚問で追及するほうが手っ取り早くて効果的なような気もする。しかし現実には警察と政治はマスコミと癒着しているのでなかなかそのハードルは高いとも思われる。立花孝志氏の逮捕に向けて動いている場合ではなかろうに。いずれにしてもテレビの言うことなどまったく信用ならないということが、さすがに今回のことで情報弱者と呼ばれる層の人々にも理解できたであろうから、テレビ離れは今後一層に加速することであろう。自業自得である。
(吉川 玲)
トラブルは人生において不可避である。
もう世の中に対して、何も言いたくはないんだけれど、歳を取って、何か言う元気がなくなってきたということなのかも知れないが、トランプ大統領を見ていると元気だなと、あの活力は一体、どこから湧いてくるのであろうかと自分と見比べ、見習おうとは思わないが、まあ何て言うのか、どんな人間でも、偉人であろうが凡人であっても、生きている限り殺される(物理的にも精神的にも)リスクは、絶えず存在するのであって、そのリスクを回避することばかりを考えて生き長らえていても、人生そのものが楽しくはないし、生きる活力も枯渇せざるを得ないということは言えるのではなかろうか。余計な心配かも知れないが、トランプ大統領はこれからの任期の4年間、殺されずに生き続けることは出来るのであろうか。
ということで、よその国の大統領の身の心配をするよりも、今、この国の出来事に関連して何か言うのであれば、生きている限り、誰のどのような人生であっても何がしかの「トラブル」は付きものだと思う。まったくトラブルのない人生を送っているという人がいるのであれば、私の目の前に連れてきて欲しいと思う。そのような奇跡の人間を死ぬまでに是非、一度見たいものだと思う。そもそも人間はこの世に生きていること自体がトラブルであり、何らかのその人間の人生に相応しいトラブルが宿命づけられていると考えることもできる。イエス・キリストのような偉大な人間であっても宗教的なトラブルの末にローマ帝国への反逆罪として殺されたのである。トラブルのない人生など存在しない。ドナルド・トランプ大統領の人生もトラブルに塗れている。トラブルイコール悪ではない。トラブルをどう評価するかは別の問題である。別に擁護するわけでも、心配するものでもないが、今、世間を大きく騒がせている中居君が過去に引き起こしたトラブルがどの程度のものであったのか全く見えてこない。中居くんのマンションに女子アナが一人でのこのことやって来たのであれば、そういう行為を気持ちの上で了解済みであると中居君が思ったとしても、ある程度は仕方のないことである。そこにフジテレビの会社幹部の関与があったのかどうかということも、業務命令として行ってこいといわれたのであれば組織的に行われている性接待と見做すことは出来るのであろうが、そういう風に会社としての関与を明白に証拠づける言質をフジテレビのような大手のマスコミ企業の幹部が言明する訳がない。そこは曖昧に、あくまでも女子アナが自分の意思で中居君のマンションに行って、自分の意思で行為をしたという筋書きにしようとするであろうからグレーゾーンの領域である。要するにそのプロデューサーなのか何か知らないが、幹部社員と女子アナの阿吽の呼吸による意思疎通が取れていなかったことが、問題というか原因であったのではないかとも考えられる。或いは良い悪いはともかくも、女子アナが潔癖で世間知らずであったことも一因であったと言えるのではないか。もちろん暗黙であっても、そのような性接待の慣習が業界なりフジテレビに存在していること自体が、社会的に大きな問題であることは当然であるが、それを言うのであれば、女子アナが仕事上で付き合いのあるタレントやスポーツ選手と食事会やパーティー、合コンなどで接触することを一切、会社として禁止すればよいではないか。そのようにしても我々一般の視聴者は何も困らないし、誰も文句は言わないであろう。クレームがあるとすれば、当の女子アナからであろう。はっきりと言うが、女子アナなどという存在は差別する気も、侮辱する気もないが、ニュース原稿を間違いなくしっかりと読んで、時事問題や政治に関することをわかりやすく解説して社会に貢献したいなどという殊勝な心掛けでアナウンサーという職業を選んだ人間など一人としていないのではないか。一般の大企業と比べても高額の給料をもらって、TV番組に出演して有名になり、タレントのようにちやほやとされ、仕事や食事会などで有名人と知り合う機会が多いことが職業として女子アナを志す動機やモチベーションの全てであると言っても、決して言い過ぎではないような気がする。何もそれが悪いとか間違っているなどと言うつもりはないが、要するに言いたいことは、その環境を活かすのも、性接待の餌食になるのも子供ではないのだから自分次第ではないのかということだ。それから今回のことは刑事事件になっていないのだから、女子アナはあくまでも被害者ではなくて当事者である。トラブルの性質上、プライバシーを必要以上に晒されたくない気持ちは理解できるが、これだけ問題が大きくなりフジテレビの存亡に関わるような事態になっているのであるから、辞職しているとしても自らの口で、事の経緯や当日の状況を説明する責任はあるように思われる。高みの見物とまでは言わないが、沈黙を貫いたところで、推測の情報が独り歩きするだけで、誰にとっても何のプラスにはならないと言えよう。
中居君が芸能界を引退するのは、中居君の勝手であるが、トラブルが大きくなり過ぎて、自分の手に負えなくなったから責任を取って辞めるというのは、トラブルの有無やその影響力の大きさを善悪の基準として考えがちな日本の悪い風潮であると思われる。重要なのはトラブルの中身なのではなかろうか。中身が分からずして、トラブルの外形的な責任だけを取ったところでそこには何の進歩も改善もないではないか。もちろん覚せい剤をやっていて、乳首を食いちぎったというのであれば、何の説明も出来なくても当然であり、また引退したからといって済まされる話しでもないが、仮にそうであれば、別の意味で何でそれが刑事事件になっていないのかが問題である。よくはわからないが恐らくはそうではないのであろうから、中居君は自分の口で弁明なり、説明をすべきである。それは言い訳や責任転嫁ではなくて、自分が遭遇したトラブルを今後、同じようなことが繰り返されないようにするための材料として社会に提供する勇気ある行為として称賛されるべきものではなかろうか。何も言わないで黙っているのは、卑怯である。
ともかくも本当のことを言えば、中居君のことやフジテレビの行く末などどうでもよいのである。安倍元総理を銃撃、殺害したとされている山上徹也の裁判はどうなったんだよ。事件の日からもう2年半も経過しているというのに、いつまで公判前整理手続きをやっているのか。日本のほとんどの大衆は、このような歴史に残る大事件の第一審すらまだ行われていないことに、中居君の問題に関心が奪われて、問題視していないという以上に、完全に事件が風化してしまっていて、気付いてすらいないのではないか。そしてそれが中居君の問題の目的ではないのか。大体において安倍総理銃撃後の2年半の間に芸能界の大物のダウンタウンの松本と中居君の二人が同じような問題で世間の注目をバトンタッチのように集め続けるというのは不自然だとは思わないですか、ということだ。さらに言えばジャニーズの性加害のスキャンダルも同様である。共通して言えることは今に始まったことではないのに、何で今、問題となるのかということである。久しぶりにブログの記事を書いて、それがこんな内容であれば警察がまた政治に命じられて私の元に遊びにくるかも知れないが、それならそれで仕方のないことである。別に悪いことをしている訳ではないのだから。アメリカのトランプ大統領が生き続けるのであれば、当面は私も死なないであろう。楽しくない人生であっても、腐り切った世の中であっても、生き続けることには何らかの意味はあるのだと思う。
(吉川 玲)
神の不在について
神は存在しない。
神という概念が存在する。
それでは、この私とは何なのか。
私は、概念ではない。
私は思い、考え、憤り、悲しむゆえに
生きている主体である。
概念は思考の客体であって、主体とはなり得ない。
神は祈られ、思考される客体であって、主体ではない。
ということは論理的に考えれば、
人間は己の主体性の内部に
神の概念を作り上げ、それを抱え込み
精神的に消化することによって
神という概念の客体に主体性を付与して生きているのであるといえる。
つまり人間が存在しなければ
神は存在しないのである。
動物は神に祈らず、思考しないゆえに
動物界に神は不要で、不在である。
人間と動物の決定的な違いは
神を思うか、思わざるかであるといえよう。
逆説的にいえば、神は不在であっても
人は神を思い、神を作り、神の主体性を信じるがゆえに
人間的であり得るのであるといえる。
或いは人間の神性とは、
不在の神を思い、追究し続けることによって
己の内部に目覚める何かなのではないであろうか。
概念としての神の客体性と自己の主体性が
人間の内側で融合し、
区別の境界が消滅し
超自然的に、神秘的に己を罰したり、裁くものが
何もないということが深く了解できた時に
人間は自由になり、進化するのであろう。
神を思い続けることは、実は神の不在への理解に至る道である。
この点において、世界中の宗教は間違っているのである。
宗教もまた政治と同様に
人間を奴隷化する一つのシステムなのである。
(吉川 玲)