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No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

岡山での仕事へ向かい、新幹線にて移動中。
ミーティング終了後には次の仕事先、神戸へと向かうのだけれど、あらためて革命的だと思う。新幹線というインフラは。

なんてったって、新大阪→岡山は「のぞみ」で45分(JRを乗り継ぐと、2時間44分)。岡山→新神戸は、31分。

普段は岡山で一泊。というパターンなのだけれど(お食事会込みで)、こうした梯子的なスケジュールも可能にしてくれるわけだ。




革命的といえば、販促、プロモーション、マーケティングという分野でも大いに起きている。いや、順応という方が正しいかもだな。

その多くは社会や人々が変化する様に並走、時には先回りをするわけだけれど、たとえば、インターネットもそう。なんせ人が目にする情報量が莫大なのだよね。

知りたいキーワードを入力すれば、簡単にその情報を得らるボリュームだし、ソーシャル、SNSもそうだ。
ブログ、facebook、twitter、You Tube、諸々、いったいどれだけの人が日々アップしているのだろう。

ある意味では情報コンテンツの酒池肉林状態。そして、玉石混交でもある。

それに伴い、「コンテンツからコミュニケーションの時代」と、巷では言われたりするけれど、大いに同感する次第。

というのは、これまで企業(お店)はコンテンツにチカラを入れる傾向が強かった。その代表は、お役立ち情報や便利、有益的な情報をホームページにストック。そして、必要な都度、閲覧してもらう、みたいな。

そして、そのクオリティや使い勝手にもこだわる努力をする。そういうやり方が主流だった。(企業(お店)が見せたい情報も含めて)

しかし、いまはそれだけでは心許ない。もちろん、大事だよ。コンテンツへのこだわりは。とはいえ、それだけでは宝の持ち腐れ状態になりやすいというか。

ようするに、誰かが導かないと、そのコンテンツ自体を期待するほど見てもらえない現象が起きている。
そう。生活者とのコミュニケーションがあってこそのコンテンツ。と、言っても過言ではないだろう。

この構図の中、申し子的な存在がソーシャル、SNS。打ってつけなのだよね。WEB同士という相性の良さもあって。

もちろん、紙媒体(ツール)でも良いのだけれど、人が中心軸に立つ様は商売の原点回帰的でもあるわけだ。

さらにSNSでは、いわゆる口コミも起こりやすい。
友達の「これいいよ!」という投稿は、企業(お店)の発言より影響力があるし、「それ、どこで買ったの?どんな感じ?使いやすい?」的なやり取りで盛り上がったりして。

ならば、その人が属するコミュニティで話題にしてもらえる方法を見出すためのトライも値打ちものだ。

冒頭のカメレオン的な順応。「言うは易し」という側面もある。
業界的、社内的な常識で固まった塊を解すことは容易くなかったりするわけで。

そう思うと、昨日までの過去を一旦は横に置いてみる。それもまた順応には必要だと思う次第である。(ポリシーや成功談、武勇伝も大事だけどね)

さて、生活者への情報提供。からの~コミュニケーション。今日はその検証的なミーティング。

さ、最大限の熱量を持って向かおう。全速力で。
七夕。
が、夜空を見上げても雲ばかりだね。(こちら関西は)

7月のハジマリの歌は「ハジマリノウタ | いきものがかり」。(本人映像がなくメロディーのみ)





ファンにありがちな話だけれど、これを聞くたびに熱量を帯びる。ボクの場合は。それも沸点到達のような勢いで。

(「あなた」も相当かも。5/13にリリースされた30th single)

というのは、不確かさとは、なんかこう人間の本質ではないかと。芥川龍之介ではないけれど蜃気楼的な、そういう詩が響いてくるのかもしれない。

自信も強さも、不安も弱さも、その時々次第みたいなところがあるじゃない。勢いや環境、時には体調にも影響されたりして。

生や証というのも、そうだと思う。
「あなたが生きた証ってなに?」そう問われれば、答えに詰まる自分がいたりして。いや、たいがいなことばかりだな。だとも。

有吉佐和子氏の「恍惚の人」(新潮社)ではないが、恍惚とした人生を歩んで来たのでは。という畏怖のような感覚を、ふと抱いたりもするのだよね。

ふむ。この拙いブログも書き続けよう。ピッチも上げて。これもこれで足跡のひとつになるかもだからな。




ま、今日を生きるしかない。なにわともあれ。
いきものがかり風に言えば、たとえ祈りが叶わなくても、ね。

さ、頑張ろう。
百田尚樹氏(作家)が批判を浴びている。「沖縄2紙をつぶせ問題」で。

周知の通り、自民党の若手議員による勉強会、「文化芸術懇話会」(代表・木原稔青年局長)での一幕だ。

百田氏は「冗談として言った」と釈明されていたが、そもそもな気も。
この「文化芸術懇話会」とは安倍首相に近い議員が立ち上げているわけで。たぶん安倍応援団みたいなものだろう。

(加藤勝信官房副長官や萩生田光一・総裁特別補佐らの首相側近も出席)

一応、以下、百田氏発言の前段で出た国会議員のセリフ。

「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番。経団連に働きかけて欲しい。」

「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい。」

「不買運動するのを働きかけて欲しい」など。


ある意味では、なんかこう言論統制と呼ばれるほどのクオリティなのか?と思ったりもする。もちろん、権力や影響力などをお持ちなわけだが。

そうそう。
ボクもまた反応したひとりで、ニュースが躍った26日にツィートした。


言論統制、異論を排除。そう言われると、ジョージ・オーウェルの「1984」的な。いや、村上春樹の「1Q84」か。何気に全体主義感が醸し出されるが、個人的にはカオス感。どちらかと言えば、この方がシックリ来るのだ。

「報道の自由。民主主義の根幹。我が国は憲法で~。」どれも地に足が着いていないというか、どこか曖昧で建前的だったりしないか。とりあえず言っとけみたいな。
次元はまったく違うが、巷に溢れる絆、繋がり的な。SNSへ高カロリーな食事(料理)を頻繁にアップしながら、「明日から本気のダイエット」と、その都度コメントする的な。個人的には同ジャンルな気がしてならない次第である。

そういえば。さきほどのツィートと同日にしたツィート。これもなかなか気になった。



なんだろうか。分かる気はするよね。