共感。
繋がり界最強はこれだ。と個人的には考えている。もし、そこに色彩があるとすれば、最も濃いだろうという風に。
とはいえ、「緩い、薄い、繋がりなんて喝だ!」というような意ではないのよ。
その人との関係性、ほどよい距離感という意味ではそれが最適かもしれないし、プロモーション的にも意図したガッチリし過ぎないシナリオは大事だと思うわけで。
さて、言葉にすると何だか堅苦しいが、共感とはきわめてラフな感覚だろう。正味な所では。
ある何かに対して「うん。確かに」、「分かるわぁ、それ」、「そう言われてみると、そうだ」という感じで。(なぜだか居心地が良いという類もありそうだ)
そして、その何かを敢えて言葉にしてみれば、思想や価値観、仕事観や人生観だったりするのだろうけれど、なんせ確かに存在しているわけだ。その対象とは。
たとえば、いわゆる「ラーメン屋のガンコ親父」はその典型の一つだろう。
「ウチはこうだ!」と迎合しない。媚びない。ブレない。というか。さらに「気に入らないのならウチに来んな。ヨソへ行け、ヨソへ」という風に。
確かな存在の集合体が個性と呼べそうだが、その何かしらの観に惹かれる人たちがいわゆるファン層にインストールされていくのだろうと思う。
さらに付け加えれば、SNS的なネタにもするだろうし、このガンコ親父を好きになりそうな友達諸々も連れて行きそうだ。
もちろん、いずれの観も気に入らない人は二度と来店しないだろうけれど、ようするに、ガンコ親父がお客さんを選んでいるわけだ。
あらゆるビジネス、商売とはそういうものだと思うのだよね。「思想、哲学、価値観」という類を売るという意味で。
とはいえ、言うは易しでもある。そう。体現しなきゃ共感してもらえないわけで。誰も口先だけが立派な人に「おぉ。なるほど」とはならないだろう。
更に、あと一つ付け足さなければと思う。「相手に興味を持つ」だ。「この人、ぜんぜん分かってないな」と、相手に受け取られてしまっては、聞く耳自体を持ってくれそうもないからな。
何かしらの観で繋がれる関係とは離れにくいと思う。課題や障害を一緒に乗り越えようぜ!的な。一緒に頑張ろうぜ!的な。そういうノリも自然派性したりもして。
ふむ。つたない経験談だけれど、個人的にもそうだ。
単に条件的に一致。損得勘定的に合う。そういう繋がりとは実に脆弱だし、時間の問題的でもある。何かあれば一瞬で、いとも簡単に炎が消えるというか。たまに、あいつのせいにしちゃおうぜ!的な虚しい光景もあるな。
そう考えてみると、情報発信の積み重ねとはとてつもなく大事だと思うのだよね。自らを伝えること。そして、相手に興味を持った上で、理解しようと努力をした上で、伝えること。更に、言行一致、体現することだと。
繋がり界最強は共感だと思う件。個人的にも意識高くやっていきたい次第だ。
迎えた広島遠征の朝。(一昨日のことね)
ふと、「気づくとは偉大なのだよな」と思いつつ、その旨ツィートしていた。ま、ベタだけれどな。
というのは、その前日のミーティングでのこと。
お話した一つは「成熟社会のいま、人々の多くが感じる価値とはどの辺にあるのか?」というテーマだった。
たとえば、洋服に感じる価値。
いまや「単なるもの」としての機能よりも自分の心の何かを満たすため。そうウェイトが勝る人の方が遥かに多いだろう。
彼氏、友達に「可愛いね」と言われたい(思われたい)のかもしれないし、いつもファッションを気にする若さを保ちたいのかもしれない。
または、女性から「お洒落ですね」、「格好いいですね」と言われたい(思われたい)のかもしれない。
はたまた、デキる人に見られたい。仕事でナメられないようにしたい。のかもしれない。自己を表現する一つの方法なのかもしれない。
ふむ。政権交代なのだよね。どんなものにせよ。
旧政権は成長社会がゆえ、ハード(企業、商品、サービス)自体が感じる価値の主役。そして、新政権は成熟社会がゆえ、自身の何かを満たしてくれるソフト(心)が主役という感じで。
とはいえ、「ハードに価値がない」という意ではないのだよ。ハードとソフトという価値の両輪のどちらのウェイトが増しているのかという話であり、生活者(お客さん)視線に合せると、どちらが届きやすいかという話でもあるわけなので。
ん。話が三叉路的になってしまった。戻そう。
その前日のミーティングのことだが、その後、ボクがお客さん役のロープレをすることになった。
何の練習もなしに突如始まったわけだけれど、みなさん、お一人お一人の気づきは確かにトークに組み込まれていた。即興がゆえ不器用さも在ったりしたけれど、そこには確かに。
「気づく」とは偉大なのだよね。人から「ああやれ、こうやれ」と言われるがままならば単なる作業的になりがちなわけで。一方、こうクリエイティブなのだから。
さ、ご依頼頂いている原稿の仕上げとリライトの数々。そして、週明けは静岡遠征が待っている。明日も頑張ろう。全速力で。
ふと、「気づくとは偉大なのだよな」と思いつつ、その旨ツィートしていた。ま、ベタだけれどな。
というのは、その前日のミーティングでのこと。
お話した一つは「成熟社会のいま、人々の多くが感じる価値とはどの辺にあるのか?」というテーマだった。
たとえば、洋服に感じる価値。
いまや「単なるもの」としての機能よりも自分の心の何かを満たすため。そうウェイトが勝る人の方が遥かに多いだろう。
彼氏、友達に「可愛いね」と言われたい(思われたい)のかもしれないし、いつもファッションを気にする若さを保ちたいのかもしれない。
または、女性から「お洒落ですね」、「格好いいですね」と言われたい(思われたい)のかもしれない。
はたまた、デキる人に見られたい。仕事でナメられないようにしたい。のかもしれない。自己を表現する一つの方法なのかもしれない。
ふむ。政権交代なのだよね。どんなものにせよ。
旧政権は成長社会がゆえ、ハード(企業、商品、サービス)自体が感じる価値の主役。そして、新政権は成熟社会がゆえ、自身の何かを満たしてくれるソフト(心)が主役という感じで。
とはいえ、「ハードに価値がない」という意ではないのだよ。ハードとソフトという価値の両輪のどちらのウェイトが増しているのかという話であり、生活者(お客さん)視線に合せると、どちらが届きやすいかという話でもあるわけなので。
ん。話が三叉路的になってしまった。戻そう。
その前日のミーティングのことだが、その後、ボクがお客さん役のロープレをすることになった。
何の練習もなしに突如始まったわけだけれど、みなさん、お一人お一人の気づきは確かにトークに組み込まれていた。即興がゆえ不器用さも在ったりしたけれど、そこには確かに。
「気づく」とは偉大なのだよね。人から「ああやれ、こうやれ」と言われるがままならば単なる作業的になりがちなわけで。一方、こうクリエイティブなのだから。
さ、ご依頼頂いている原稿の仕上げとリライトの数々。そして、週明けは静岡遠征が待っている。明日も頑張ろう。全速力で。
10月だ。
福岡遠征だ。というわけで、文脈的イメージにミーティング資料を重ねつつ、その一部を修正する、の巻。
そして、ハジマリの歌は「なくもんか | いきものがかり」。
さて、今日行うワークテーマには「生活者(お客さん)アンケート」がある。
みなさんと一緒にその1枚1枚を丁寧に捲るわけだが、価値の新発見ができそうな、販促物のキャッチに据えられそうな、そういう素敵な声を見つけようとするものだ。
そして、もう一つ。
幾つかあるアンケートを全面リニューアルされたのだけれど、従来の回答傾向に比べどれほどの変化がみられるか?それはなぜ起きたのか?についても激しく凝視していくものである。
というのは、アンケートをいくら取ったとしても「真実は分からない」という事実がある。更に付け加えるのならば、「生活者心理を間違って解釈しちゃうかも」という事実もあるからだ。
これはまたの機会に書くとして、アンケートとは生活者を知ろうとする企業(店舗)の弛まぬ努力。それゆえ誤解には気をつけたいところなのだよね。
さ、今日も楽しく頑張ろう。全速力で。
福岡遠征だ。というわけで、文脈的イメージにミーティング資料を重ねつつ、その一部を修正する、の巻。
そして、ハジマリの歌は「なくもんか | いきものがかり」。
さて、今日行うワークテーマには「生活者(お客さん)アンケート」がある。
みなさんと一緒にその1枚1枚を丁寧に捲るわけだが、価値の新発見ができそうな、販促物のキャッチに据えられそうな、そういう素敵な声を見つけようとするものだ。
そして、もう一つ。
幾つかあるアンケートを全面リニューアルされたのだけれど、従来の回答傾向に比べどれほどの変化がみられるか?それはなぜ起きたのか?についても激しく凝視していくものである。
というのは、アンケートをいくら取ったとしても「真実は分からない」という事実がある。更に付け加えるのならば、「生活者心理を間違って解釈しちゃうかも」という事実もあるからだ。
これはまたの機会に書くとして、アンケートとは生活者を知ろうとする企業(店舗)の弛まぬ努力。それゆえ誤解には気をつけたいところなのだよね。
さ、今日も楽しく頑張ろう。全速力で。




