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No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

昼下がり。
JR大阪駅(中央口)から丸ビルへと続く道でのこと。

 

30代前半ほどの女性が、赤の他人的な距離でボクの隣を歩いていた。

 

しばらくすると、後方から男性の声が聞こえる。『佐藤さーん!』と。

 

ん?
条件反射的に振り向けば、隣の女性も同じタイミングで振り向く。さらに『あー。〇〇さん!ビックリしたー。』と応えているではないか。

 

やれやれ。恥かしい。声を掛けてきた男性も『なにか?』的な顔でボクを眺めるわけで。

 

 

さらに。まだ続く。

 

その道を辿る終着地は、ヒルトン大阪。その1Fにある『インプレイス』という名のラウンジで打ち合わせがあったのだ。

 

『何名様でいらっしゃいますか?』というテンプレ的やりとりの後、『おー。佐藤先生!』と、声がする。案内された席へ歩き始めた頃の出来事だった。

 

これまた条件反射的に、ん?と、顔をやると、その声の主はボクを見ていない。少し後方から来る女性に対してだったのだ。

 

やれやれ。『この人、誰だったかな?』と、0コンマの瞬間、思考を巡らせてしまったではないか。

 

ふむ。やはり広いぞ、佐藤業界。とはいえ、初の体験だったのだけれどね。

 

さ。明日も頑張ろう。楽しく。笑顔で。全速力で。

変わらないもの。
一見、何の変化もないように見えたりもする。けれども、ソフト的要素が移りゆき進化するゆえ、変わっていないように見えるものも多い。

 

ところで。『ウチの業界(体質)は旧態依然。古臭い』というテンプレ化された言葉がある。さらに、風穴を開けたくても的な意味合いに使われることも、しばしばある。

 

つまり、『こういう環境(状況)なのだから仕方がない。本当はこうしたいけれど、なかなか』と、嘆くパターンだ。

 

とはいえ、悲観することはない。業界が古いほど、できるフィールドは無限級だ。(最先端を行く業界より遥かに楽だし)

 

そういう意味ではアイデア出しも余白が広大で、個人としても、企業としても、伸び代は大きいはずだ。さらに、圧倒的になれる機会、エースになれる可能性にも恵まれているということにもなる。

 

ようするに、業界が古いとは、つくづくラッキーなのだ。

 

 

やや余談的だが、日本の新聞(紙)の発行部数がどれだけ凄いかご存知だろうか。人口が上回る中国、インド、アメリカよりも多く世界最大なのだ。

 

さらに、最大部数の読売新聞(発行部数)は、中国国営最大手の『人民日報』を上回り、インド最大手の『タイムズ・オブ・インディア』の3倍、アメリカ最大の『ウォール・ストリート・ジャーナル』の4倍だという。(2016年4月現在)

 

ふむ。この辺りには少子高齢化(慣れ親しんだ手段、方法にこだわる高齢者が多いという意味で)の影響も何らかありそうだが、英国BBCはこう指摘している。

 

『日本企業の問題点(生産性の低さの原因)は、新技術に対する保守的な姿勢だ』と。

 

たしかに。それもそれであるよな。特にIT化が。個人的にはそう思ったりもするけれど、良いではないか。たとえガラパゴス的な進化だって。

 

それよりもソフト的要素が何も変わらない方が重症だ。ただただ劣化、陳腐化するのみなのだから。

 

さ。明日も頑張ろう。楽しみ。笑顔で。全速力で。

資質。
好み使う人が、まぁまぁいるワードである。経営者としての資質。リーダーとしての、みたいな。

 

少し前、うちのスタッフとの話題にも出たのだが、『器』や『身の丈』というような解釈で落着をみた感じ。

 

器以上のことをやろうとしても、なかなか上手くいかないみたいな。許容オーバー分が零れ出てしまうわけで、と。

 

とはいえ、特段のテーマじゃなかったのだけれどね。知らぬ間に盛り上がりをみせ、そう展開したというか。

 

ところで。広辞苑でこの言葉の意味を引くと、こうある。『生まれつきの性質や才能。資性。天性』と。つまり、生得的素質だと。

 

それじゃどうしようもないじゃないか、といえば、そういうわけじゃない。能力があるからだ。

 

広辞苑には『教育や環境等の後天的要因と資質との複合結果』と、その意味が記されているのだが、ようするに、日々養うことができるというわけだ。

 

ふむ。励み、糧にしようじゃないか。

 

 

やや話が拡張するが、『自分は平均以上』と考える癖が、人にはあるようだ。そういう認知バイアスが何事にも強く働いているらしい。

 

有名な話として『あなたは平均よりも車の運転が上手いですか?』というアンケートがあるが、70%の人が『はい』と答えることが分かっている。

 

つまり、人よりマシだと。(分かる気がするよね。ボクもそう答えるし)

 

さらに、『ダニング=クルーガー効果』というのもある。(コーネル大学のダニング博士とクルーガー博士から名付けられたもの)

 

この研究成果では、こう結論付けられている。

1.能力の低い人は、自分のレベルを正しく評価できない。
2.能力の低い人は、他人のそれも正しく評価できない。
3.なので、能力の低い人は、自分を過大評価する。

 

こう言われると『あぁ。いるいる。あの人でしょ。それにあの人も』的に周りを見渡してしまいそうだが、この思考癖は『バイアスの盲点』と結論づけられている。

 

ようするに、自分を激しく贔屓し、自身を豪快に棚に上げる現象だ。

 

資質と能力。
自信を持つことは大事に違いないが、勘違い野郎になってしまうのもね。どこかこう恥ずかしく、品格にも欠けてしまうわけで。

 

ふむ。謙虚に生きよう。いや、そう生きなきゃな。弛まなく。全速力で。