ファンタジー。ポエム。
そういうノリが、加速度を増しつづける社会である。
『頑張れば何とかなる論』もまた、その代表の一つだと思うのだが、そんな単純なものじゃない。
いや、努力を否定するわけではないのだが、『そんなの単なる無責任論でしょ』だって多々紛れているわけだ。キミの思うまま好きにやれ的な。(その後は、知ったこっちゃないけれど的に)
『夢を持て論』も、首相が掲げた『日本を取り戻す』もそうだと思う。それよりも『自分を取り戻す』方が、よっぽど大事だと思うわけで。(一億総活躍社会も同じ匂いがするしな)
いずれにしても、誰もケツを拭いてはくれないことを忘れてはならない。さらには、これら勢力が台頭し一般論化するとは、怖い社会でもあると思うのだ。
(とはいえ、悲観し、嘆いているのではない。楽しみ事も多々あるわけで)
そういえば。
先日、ヒルトン大阪の『THE IN PLACE』というラウンジで打ち合わせがあった時のこと。
隣席では、いかにも意識高い系っぽい二人組が凄まじさを繰り広げていた。
それっぽいネタ、薀蓄の応酬。やたらに登場するヨコ文字にグローバルネタ。やけにロットのデカい話。しまいには、空海までも登場する次第で。
ようするに、オレの方がイケてるだろ的であり、ノマド信奉者でもあるのだが、引っ叩いてやりたい気分にもなった。足元を見よ、と。自分を取り戻せ、と。
とはいえ、これもまたファンタジー、ポエム化する社会の弊害的象徴の一つだと強く感じ入たのだった。
ふむ。取捨選択が大事なのだろうと思う。社会が全体主義化するほどに。自分が身を置く、いかなるコミュニティにおいても。
それには、善悪の区別、他人を理解する力、一般論や他人に流されない等が必要であり、それには教養がものを言う。
さらに付け加えるのならば、そう養い、絶対的基準を持ち、生き抜くことは、自分のためだけじゃない。身近な人や大切な人、関係者や他人のためでもあると思う次第だ。(その集合体が、社会であり国家なのだけれど)
さ。励もう。弛まなく。
そして、緩やかに傍観もし続けよう。この社会を。