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No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

ドナルド・トランプ氏。

周知の通り、『史上最低の戦い』を制した男だ。

 

次期米大統領選という大舞台なのに、政策論争じゃなく、誹謗中傷合戦に持ち込む的な。

 

とはいえ、大成功。実業家の醜聞と権力者の腐敗を比べれば、民意の判断は頷ける気がするわけで。

 

さらに『庶民の改革』というスローガン。
富裕層や権力者に対する反発心とは、社会を変えてくれる象徴にも映ったのだろうとも想像する。(そう叫ぶトランプ氏自身が富裕層、これはこれでシュールなのだが)

 

それにしても。
当選確実となって以降、『番狂わせ』や『大方の予想をひっくり返し』という言葉が踊っているが、どうなのだろう。

 

マスメディアの情報収集能力と文脈を読む力の無さを露呈しただけではないだろうかと。単なるミスリードだろと。木村太郎氏のように『やはりトランプだ』と言えない辺りに、そう思ったりもする次第だ。

 

 

さて、ネット上では『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の脚本家、ボブ・ゲイル氏の発言が注目を集めたよね。

 

同PART2に登場するビフ・タネンのモデルがトランプ氏だったなんて。

(2015年にタイムスリップするシリーズ)

(ビフがマーティの捨てたスポーツ年鑑を拾い、過去の自分に届け、大成功する展開)

 

ボクもこれを機に知ったのだが、ビフの高層カジノはトランプ・プラザホテルだったりと、ふむ。さらに、シカゴ・カブスのワールドシリーズ優勝も。誤差1年(2015年(映画)・2016年(現実))な辺り、そして、108年ぶりの優勝なものだから、みんな驚愕するわけだ。

 

 

映画といえば。個人的な楽しみ事がある。
『バイオハザード:ザ・ファイナル』だ。(12/23公開予定)

 

中弛み感のあった同シリーズだが、いよいよ人類対アンブレラ社の戦いに決着が付きそうな予感。(さすがに第1作目から15年も経つのだからな)

 

さらに、Ⅲ、IVでアリス(主人公戦士)と共に戦った、クレア・レッドフィールドも再登場するらしいし、女戦士コバルト役でローラも出演する。

 

たしか、ウェスカー(アンブレラ社、最高幹部)は前作で人類軍の味方になったのだったっけ。

 

ふむ、ふむ。上映初日に映画館へ行きたい勢いである。

 

 

さ。明日から大遠征だ。張り切って立とう。
笑顔で。楽しく。全速力で。

AI(人工知能)資本主義。

もはやこういう世だが、この流れに逆らうかのような絶望論を見かけることも少なくない。

 

その代表格の一つは、これだろう。『AIが人間の仕事を奪う論』。

 

諸国での様々な試算、そのインパクトが強いほど話題にも登るが、日本で働く人の約2人に1人は、AIに仕事を奪われるそうだ。いや、代替されると表現した方が正しそうだが。(10~20年後予想・野村総研雇用試算より)

 

じゃあ、AI化を止めれば雇用が守られるのかというと、そういうわけでもない。経済産業省が4月に公表した試算によると、AI化しなくとも雇用は自然減になる見込みだ。(現在の産業構造を維持した場合)

 

※平成27年度の国内従業者数6,334万人→(42年度予想)735万人減(1割超の雇用減)

 

さらに、AIに代替可能な業種での雇用が増え、低賃金化が進むという見通しもあるけれども、ふむ。AI資本主義による格差社会だな。

 

 

先の絶望論と並び、共存論も目立つ存在だ。

その代表格の一つには『少子高齢化による労働力不足の解消』が挙げられるが、協力し合えば生産性が高まるという論調だ。

 

たとえば、先日11/1、『AI記者』を人間記者がサポートし、書き上げたものが話題になった。

 

『この記事、AI記者が書きました』

 

中部経済新聞の『創刊70周年 記念企画』として掲載されたものだが、AIが持つビックデータと秒単位で行う作業スピードのお蔭で、未知との遭遇級の生産力だったそうだ。

 

(先行する、米国をはじめとする諸国の新聞社に追いつけ追い越せというシーンの一つでもあるのだろう)

 

米国では、『ワードスミス』という名のAIが管理職を立派に務めている。(社員の管理や評価を行う)

 

『フランクへ。君は今週、2件で4万2550ドルの契約をとって、26社の潜在顧客と接触したね。素晴らしい成績だ。でも、まだ年間ノルマの達成ペースからは遅れているよ』と、普通にメールが送られてくるそうだが、公平中立な評価もすることだろう。人間上司特有の好き嫌い、差別が省かれることによって。

 

その他、AIプログラムには、経験し、学び、修正するというものもある。また、人の感情を理解し、対応できるベイマックス的な癒し系、介護系ロボ研究も進んでいる。

 

ふむ。絶望と共存、そして、希望。
なにやら一つの小説になりそうなほど面白いではないか。AI資本主義とは。

本質。
ここから外れてしまうと、何事もなかなか上手くいかないものだ。

 

ゆえに、ビジネスシーンでも度々登場するキーワードであり、台詞でもある。なんせ、生産力が劣化するわけで。数字や売上等にも直結するわけなので。

 

では、『本質とは、なんぞや?』だが、これ即ち『解決したら上手くいくもの』である。

 

たとえば、『上司が悪いから、調子が上がらない』とした場合、上司が変わった途端、調子が良くなったのではあれば、捉えた本質は正解だ。

 

営業(販売)数字が芳しくない場合も然り。

来店(場)数、イベント参加数、アポイント件数、顧客訪問回数という量を本質と捉え、増量した途端、数字が回復したのではあれば、正解ということになる。

 

会議の多さや人員不足に対する声もそう。
会議をなくし、適正な人員数を揃えた途端、数字がグングンと伸びたのなら、本質はそこにあったということになる。

 

 

一方、そうしても上手くいかないのであれば、本質は別の所にある(外ではなく内にありがちだが)。なので、やるだけ野暮、とてつもない疲弊となりがちだ。

 

とはいえ、こう言うほど単純じゃなかったりもするのだよね。何かしらの都合バイアスやパワーバランスが強く働いている場合とか。

 

たとえば、本社からの指示や方針などに対し、そういう問題じゃないでしょ?と、突っ込めなかったり。決裁権がないゆえ、やりたいようにできなかったりもして。

 

とはいえ、勝てば官軍だ。営業(販売)現場とは。得てして数字の世界とは。

 

ゆえに、どの現場でもある程度の自由度はあると思う。個々人が、本質を地道にやれる許容も十分にあるとも思う。さらに、結果を残していけば、余裕で決裁を取れるような発言権も手にすることができるとも。

 

知る限りではあるが、本質が見え、捉えている人は多いと認識している。
ふむ。勿体ない。大解放しちゃいなよ。その能力と実力を。

自分流の取り組みとは、それもまた大プロジェクトなのだからさ。