本質。
ここから外れてしまうと、何事もなかなか上手くいかないものだ。
ゆえに、ビジネスシーンでも度々登場するキーワードであり、台詞でもある。なんせ、生産力が劣化するわけで。数字や売上等にも直結するわけなので。
では、『本質とは、なんぞや?』だが、これ即ち『解決したら上手くいくもの』である。
たとえば、『上司が悪いから、調子が上がらない』とした場合、上司が変わった途端、調子が良くなったのではあれば、捉えた本質は正解だ。
営業(販売)数字が芳しくない場合も然り。
来店(場)数、イベント参加数、アポイント件数、顧客訪問回数という量を本質と捉え、増量した途端、数字が回復したのではあれば、正解ということになる。
会議の多さや人員不足に対する声もそう。
会議をなくし、適正な人員数を揃えた途端、数字がグングンと伸びたのなら、本質はそこにあったということになる。
一方、そうしても上手くいかないのであれば、本質は別の所にある(外ではなく内にありがちだが)。なので、やるだけ野暮、とてつもない疲弊となりがちだ。
とはいえ、こう言うほど単純じゃなかったりもするのだよね。何かしらの都合バイアスやパワーバランスが強く働いている場合とか。
たとえば、本社からの指示や方針などに対し、そういう問題じゃないでしょ?と、突っ込めなかったり。決裁権がないゆえ、やりたいようにできなかったりもして。
とはいえ、勝てば官軍だ。営業(販売)現場とは。得てして数字の世界とは。
ゆえに、どの現場でもある程度の自由度はあると思う。個々人が、本質を地道にやれる許容も十分にあるとも思う。さらに、結果を残していけば、余裕で決裁を取れるような発言権も手にすることができるとも。
知る限りではあるが、本質が見え、捉えている人は多いと認識している。
ふむ。勿体ない。大解放しちゃいなよ。その能力と実力を。
自分流の取り組みとは、それもまた大プロジェクトなのだからさ。