大解放しちゃいなよ。その能力と実力を | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

本質。
ここから外れてしまうと、何事もなかなか上手くいかないものだ。

 

ゆえに、ビジネスシーンでも度々登場するキーワードであり、台詞でもある。なんせ、生産力が劣化するわけで。数字や売上等にも直結するわけなので。

 

では、『本質とは、なんぞや?』だが、これ即ち『解決したら上手くいくもの』である。

 

たとえば、『上司が悪いから、調子が上がらない』とした場合、上司が変わった途端、調子が良くなったのではあれば、捉えた本質は正解だ。

 

営業(販売)数字が芳しくない場合も然り。

来店(場)数、イベント参加数、アポイント件数、顧客訪問回数という量を本質と捉え、増量した途端、数字が回復したのではあれば、正解ということになる。

 

会議の多さや人員不足に対する声もそう。
会議をなくし、適正な人員数を揃えた途端、数字がグングンと伸びたのなら、本質はそこにあったということになる。

 

 

一方、そうしても上手くいかないのであれば、本質は別の所にある(外ではなく内にありがちだが)。なので、やるだけ野暮、とてつもない疲弊となりがちだ。

 

とはいえ、こう言うほど単純じゃなかったりもするのだよね。何かしらの都合バイアスやパワーバランスが強く働いている場合とか。

 

たとえば、本社からの指示や方針などに対し、そういう問題じゃないでしょ?と、突っ込めなかったり。決裁権がないゆえ、やりたいようにできなかったりもして。

 

とはいえ、勝てば官軍だ。営業(販売)現場とは。得てして数字の世界とは。

 

ゆえに、どの現場でもある程度の自由度はあると思う。個々人が、本質を地道にやれる許容も十分にあるとも思う。さらに、結果を残していけば、余裕で決裁を取れるような発言権も手にすることができるとも。

 

知る限りではあるが、本質が見え、捉えている人は多いと認識している。
ふむ。勿体ない。大解放しちゃいなよ。その能力と実力を。

自分流の取り組みとは、それもまた大プロジェクトなのだからさ。