人生、一瞬先は闇

しかし、完全な暗闇でしか見つからない光もある

vaishadora



感謝のブログ2周年 第1弾です


オマケの『2周年記念の音楽』はこちらからお楽しみください

⏬⏬⏬


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3月22日でブログを始めて2年になりました🎉🎉🎉


2年の間、ブログを続けてこれたのも、私の(なんのメッセージ性も無い、書きたいことを書いているだけの)拙いブログを読んでいただいている皆さんのおかげです


感謝感謝

してもしきれません



そんな縁あって、


ずっとお付き合いのあるブロガーの方が昔ブログを始めた頃のブログに最近「いいね」をしてくれたので、読み直してみました

(sara-arufredさん、ありがとうございました)🙏


読んで感じたのは


結局、自分の伝えたいのはこのことかなと感じた(成長してない😅)ので、少し編集して再掲載させていただきます





再掲載】2022 April 2(編集済み)


少し真面目な話です。


でも、自分にとって重要な話です。



20代の時(特に大学在学中以降)、自分の家族や病、それにともない、死や人生の意味などについて大変悩んで、かなり行き詰っていました(絶望してました)


それが中国(上海)からパキスタン経由でインドまで一年以上かけて旅をしようと考えた理由です。


突然旅に出ようという衝動にかられ、インドを最終地点に選んだのには理由はありませんが、インドに呼ばれていたみたいです。


自分の旅の行程は”偶然”にも玄奘三蔵がインドに向かった道のりと同じものでした。

まさにインドに、心の旅へと呼ばれていたのだと感じます。


(写真はイメージです。お借りしました)

旅の途中、インドやネパールで路上で死んでいく人たち、そして寺院の川辺で亡くなった人たちが目の前で火葬されて灰になっていく姿を見ていて、それが大層な出来事ではなく、ごく自然な日常として行われていたことにショックを受けました。



そしてある何気ない会話が人生を変えました。


それはネパールのヒマラヤでトレッキングをしている時、ある欧米人のバックパッカーからマザーテレサの施設でのボランティアの話を聞きました。


マザーテレサはむか~しに聞いたことがありましたがまったく忘れてました。


しかし、その時はボランティア活動に興味がなかっただけでなく、そういった活動に完全に批判的でした。

(今考えてみると、昔から人々の役に立ちたくて勉強を頑張っていましたが、その時は自分の心はかなり荒んでいたのだと思います)


とりあえず、その時はバックパッカーの旅は一年半で一度終了して帰国。


その後、ある理由からどうしてもマザー・テレサの『死を待つ人々の家』で働きたくなり、これも呼ばれていたような感じでボランティアをしに再度インド(カルカッタ)へ渡りました。

これを宗教的にはコーリング(calling)というみたいです。


そこで、路上から瀕死の状態で”拾われて”くる人々、そして亡くなっていく人たち、そしてその遺体を火葬場まで運んだりする中で、人生の中で死がほんの日常の出来事にすぎないと感じられるようになった気がします。


そこで奉仕活動をしているなかで、自分が恩恵を与えるというより、そこの人々が自分に多大なる恩恵を与えてくれていることに気が付きました。


これは人生で最も大きな、そして大切な気付きであったと思います。


死や運命を受け入れること、その感覚は何千冊の本を読んでも到底理解できない大切な経験を自分に与えてくれました。


結局、彼らに自分が必要であったわけではなく、自分が彼らを必要としていたから働いていたのだと思います。


そのボランティアの経験、そして旅をしている中での出会いや別れを繰り返す中で、大変貴重なものを手に入れられたと思います。


まさに一期一会の世界です。


いつの間にか、死や人生の意味とは?などの形而上学的なことを考えることから解放されました。


(ただ、そのあとの日本社会への社会復帰につまづき、大変でした)


その時は社会復帰に悪戦苦闘していましたが、自分の経験が周りとあまりにも違いすぎて、辛くもありました。


しかし、40代になりはじめて、色々な意味で『普通の社会復帰』は必要ではないのではないかと思い始めました。人間の価値観は経験によって大きく変わると思います。自分もその運命を受け入れようと考え、少し受容できるようになりました。


それ以降、ある時期から自分の人生で(大袈裟になりますが)神とも和解し、運命を受け入れることで本当に救われたと時々感じることがあります。


基本的に自分は今でも無宗教で、キリスト教でいうような神(人格神)は信じていない無神論者です。

ただ、神や仏を真剣に信じている人々や宗教を今は否定しません。それどころか信仰心を持っている人々を純粋に羨ましく思います。


また、旅で出会った人たち、働かしていただいたカルカッタの施設、シスターの方々、そして多くのボランティアの皆さんには感謝しきれません。


そして、もちろん妻にも



無神論、無宗教ですが、自分は自分なりにそれまで苦しんできた経験、ボランティアの経験、アジアでの放浪の旅や荘厳なヒマラヤの山中を何ヵ月も歩き回るなかで、自分よりもずっと大きな存在を感じていることに気付きました。


テオティワカンを見下ろす(メキシコ)

エベレストをバックに(ネパール)
標高5545メートル

カルカッタでの人生で最も貴重な体験の一つ
(マザー・テレサと)

それは言葉や文字では伝えられない何かです。


旅は、特にインドは自分の社会で培った価値観を粉砕してくれるぐらいのインパクトを与えてくれます。いい意味でも、わるい意味でも・・・


あと一言、もし人生でつまずいたり行き詰ったりしたときには、あなたを必要とする人のために手を差し伸べてみてください。日本でも海外でもかまいません。心に任せてみてみてください。


相手に心から感謝できるってことを実感できると思います


そしてその先に道が開けるかもしれません。


余談ですが、自分の本当の試練はここが始まりだったことは機会があればお話しします。


長くなってしまいましたが、読んでいただいてありがとうございました。


終わり



コルカタでのボランティア活動については、よかったら⏬⏬⏬をご覧ください


私の『黒歴史』は⏬⏬⏬


 そして、僅かな『白歴史』



人生に迷ったときは、自分の今の心の在処、正直な気持ちを大切に生きてください

(それを常に把握しているのは至難の業ですが…)


そして、日本で他人と同じになるために必死に努力するなら、自分流のオリジナルの人生を歩むために必死で努力してみてはどうでしょう?


そのほうが充実した有意義な人生を送れると信じてます


Make Your Life Extraordinary!
(非凡な人生を!)
from 『Dead Poets Society 』(いまを生きる)



皆様の幸福を心から願ってます



これからもよろしくお願いしますね😊