不定期更新❗️m(_ _)m
久しぶりに『インドへの旅』を書きたいと思います
継続するか現在迷っていて、なんせ旅の期間が15ヶ月ぐらいあるので一日1投稿してもあと1年はかかる(想定3年)
ちょっと工夫して継続できたらしたいと思います
先ずは、この旅でもお世話になった大好きな国、ネパールでの氷河崩壊による土石流の犠牲者と被害に遭われた方々へお悔やみ、お見舞い申し上げます
早く美しい国が復活することを祈ってます
この旅日記は30数年前、インドへの放浪をしていた時に書き溜めてあったものです
日本(横浜)から船で上海に渡り、北京を経由して、陸路でガンダーラ(パキスタン、インド)を目指す旅です
もちろんインターネットやスマホ、デジカメなどはありませんでした
(ということは、翻訳機、電子地図や宿のネット予約などが無いということ)
地球の歩き方にはお世話になりました
(最初の中国まで)
個人的な備忘録ですが、よかったら一緒に旅を楽しんでくださいね😊
これまでの道のり
日本~上海~済南~北京~大原~嘉峪関
今後の旅の予定
嘉峪関~ウルムチ~パキスタンへ
パキスタン~インド~ネパール〜チベット等
まだ中国から抜け出れません😂
1994年6月11日(土曜日)
蘭州〜嘉峪関(かよくかん)
【今日の収支】
1元は12円(当時)
朝食:3元
昼食:7.5元(外国人料金)
夕食(弁当):3元
佳誉賓館:27.5元
ビスケット:1.2元
計41.8元
午前、期待していた車内弁当はないと言われ食堂車に行きました。食堂車はオリエンタ急行とは行かないけど、花などが飾られていて窓から荒野を見ながらの朝食はなかなか良かった
ただ、テーブルは汚かった
昨夜はこの列車は走っている時間より通過待ちの時間が長く駅でもないところでよく止まっていた
昼になると食堂車のお姉さんがわざわざ昼食だと知らせに来てくれた💕 昼食のメニューを見たがなかなか高い。そのうえ外国人は1.5倍だと言われ、ご飯、スープ、(中国でお気に入りの)卵炒めを食べた
午後はほとんど客のいない車内でゴロゴロしていた
途中で英語の勉強をしているおじさんがいたので英語で話しかけてみると英語の先生らしくて、アメリカの大学へ政府からの交換留学で2年間行くためTOEFLを勉強しているらしい
二人で英語で話していると、横から少し髪の長い中国人(明らかに漢民族とは違う感じの)が英語で話しかけてきた。
彼も嘉峪関まで行くというので2時間ぐらい話していた
彼は会社の社員のための医師をしていると言っていた(自称)
嘉峪関には夜の11時頃着くので心配だというと街までのタクシーを見つけてくれるというので、駅の近くの佳誉賓館の部屋まで手配してくれた
はじめは「外国人は泊まれない」と言われたが、ここで(偽)学生証が役に立った
車内では夜の7時ごろまた食堂のお姉さんが夕食だと教えに来てくれ、また外国人料金かと聞くと、中国人料金でいいと言われたので
お弁当を3元で食べた
列車の窓からは雪山が見えていた
列車は相変わらずゆっくりと走っている
嘉峪関の駅は3ヶ月前に新しくなったようでまだ工事をしていた
そのためか泊まった佳誉賓館も新しくて共同シャワー・トイレも綺麗で、部屋にはカラーテレビ付きだった
1994年6月12日(日曜日)
嘉峪関
【今日の収支】
1元は12円
佳誉賓館:27.5元
朝食(豆腐脳):0.7元
嘉峪関:5元
自転車(4時間):8元
嘉峪関〜敦煌バス予約:27.5元
夕食(木耳肉、トマト、煎蛋湯、米):7.5元
ほか
計85.2元
嘉峪関(かよくかん)は、中国甘粛省に位置する明代の万里の長城の最西端に築かれた、現存する最大規模の軍事関所です。1372年に建設が始まり、「天下第一雄関」と称されるこの要塞は、シルクロードの要衝として歴史的に重要な役割を果たし、現在は5A級観光地として親しまれています
ここまで西に進んでくると夜の9時ぐらいまで明るい(中国は一律北京時間を採用しているため、西に行くほど夜中まで明るくなる)
朝はバスで町中まで行き、そこから嘉峪関まではタクシーを使おうと思ったが、10元は高いので嘉峪関飯店の門のところで自転車を借りる
1時間2元で、デポジットが300元
中国製の古い自転車だったが日曜日ということもあってか車も自転車もほとんどなく、嘉峪関まで壮大な荒野(砂漠)を見ながら、ゆっくり走って30分ほど
嘉峪関は綺麗に修復され歴史的な古さはあまり感じられなかった
しかし、荒野だからか、風邪は強いし、暑い
かなり日焼けをした
帰りに明日行く敦煌までの切符を買うためにバスターミナルに寄って、朝9時の切符を買ってきた
敦煌までは、約400キロぐらい 27.5元
敦煌は映画でも見たことがあり、楽しみである
今日も旅に同行していただき、ありがとうございます😄
前回のインドへの旅は
では🙋♂️



