自分と家族『THE DARK SIDE of MY FATE』

(我が人生の闇の部分)


前回の『The Bright Side of my fate』(我が人生の光の部分)からの続きです


よかったら、そちらもご覧ください




おことわり…



これは、これまでと同じように…


同情や共感を求めて書くのではなく、自分の心の歴史を整理するためのものです。


恥ずかしい人生の一部ですので、興味がない人はスルーして下さいね



とにかく鬱になるような長文(もしかしたら書くべきでない内容)なので、ご注意下さい。


これは、自分自身のための自己カウンセリングであり、


単純に言えば、自分の一方的な愚痴ですが…




少しでも、今悩んでいる人の力や希望になったり、お役に立てたら嬉しいです。






吐露のはじまりです…




どこから始めればよいのか?




四十代で結婚するまで家族については、あまり良い思い出がありません。



物心ついたときには、


父親がギャンブル(麻雀)に依存(ギャンブル狂)


兄弟は、非行


母は、常に人生を否定するノイローゼ(パラノイア?)



母との食事時間は、母の愚痴と家庭問題を聞く時間だったので、食事も楽しめなかった。


それは、十数年前に結婚するまで続きました。

(それにテレビを見ていても笑うことが無かった。出来るようになったのは結婚してからです)




母がよく言っていたのは、


「人生は重き荷を背負うが如し」

「人生なんて何も意味がない」

「人生なんて苦労でしかない」


これをずっと聞かされて、育ちました。



「じゃあ、なんで産んだの?」


いつも心のなかで問いかけてました。




今分析すると、母は就職や結婚などの重要なことを全て母の両親の意のままにしていたので、不幸や苦労にしか感じてなかったのだと思います。


喧嘩をしてでも自分の意見や希望が言えなかったのが原因だと思います。


まぁ、その時代はしょうがないのかな?




母との最初の思い出は、


幼稚園ぐらいの時かな、


歯医者が嫌で、泣いて治療ができなかった帰りに、キレた母に全く見知らぬところに置き去りにされました。


その時は、泣いてさまよっている自分にある人が声をかけてくれて、電話番号を覚えていたので、電話をしてくれ家に帰りました。


歯医者は誰でも嫌いですよね~



また、叱られたときは真っ暗な押し入れに閉じ込められたり…


アメリカの短大のとき、友人に「それで今でも暗闇が怖いのね」と言われるまで、気づきませんでした…



母への愚痴はキリがありませんので、やめときます。




父のギャンブル狂は、高校時代から酷くなり、そのうち夜中に「お母さんには内緒でな」と自分のバイト代を10万単位でこっそり借りに来てました。


一晩で10万円以上負けてたみたい。


今なら、断れば良いだけのことですが、その時は誰にも話せず、何処にも相談するところもなく、ただ絶望感と現実逃避に浸ってました。



そして、兄弟の非行はますます悪化。



これらの家庭環境については秘密になっていて、


アメリカの短大に入学するまでは、特に暗い時代でした。


外では《いい子》でしたが、家では精神的に酷く不安定、家庭崩壊状態



その時代はまだ、カウセリングや心療内科などの言葉も一般的ではなく、自分自身や自分の環境を分析する能力もなかったので、ただ耐えることのみ



逃避先になっていたのが、


映画(主にアメリカ映画)


それと、クイーンをはじめとする洋楽




それらが唯一の救いで、



願いはただ一つ、



日本脱出




それからのことは、前回のブログに書きました。



しかし、その時の幸運も終わりが来て、



自費で良い大学に編入するための勉強と仕事の両立での過労と、


周りとの人間関係、


それに家庭問題を引きずっていたので、



元々不安定な精神状態がますますコントロールできないようになっていきました。



そんな家庭からはさっさと逃げれば良かったのですが、母に「独立なんて絶対に無理」と常に否定されていたので、呪縛みたいになっていました。


母は、いつも母の愚痴を聞いていた自分に《心理的な依存状態》にあったのかもしれません。


自分にも非があったことは否めません。



ただ、何回か母に、「人に悩みを打ち明けると、その人(打ち明けられた人)の重荷になることがある」と話しましたが、理解できなかったみたいです。



基本的に、母は人の気持ちを考えるのが苦手です。




それもあって、無理をしてでも早くアメリカに帰りたかった。


それで、UCLAへの編入を強行しました。



かなり不安定な状態で、しばらく頑張っていました…



しかし、再渡米してしばらくして…



夢をつかみかけた矢先…




家族の中で、逮捕者が出て、実刑になり、新聞にも載ったので、周りに内緒で引っ越しすることを余儀なくされました。


(人を傷つけたり、殺めたわけではありませんが…)



その時、精神状態が崩壊しました。




思い出すのは、辛いな~





でも、書き残しておきます。




いろんな理由で一時帰国してから、ずっと精神状態が最悪



あったのは、「アメリカの大学を卒業して発展途上国のために働く」という《ポジティブな強迫観念》と「死への強い切望(希死念慮)」のみ



それでも、翌年他のアメリカの大学に変更(編入)してなんとか卒業しました。



しかし、その2年間は限界以上に無理をしていて、カウセリングを受けたり、薬漬けでしたが、自分の中で、潜在的に過去や現実を封印していて、アメリカの病院(通院や入院中)でも原因がわかりませんでした。



しっかりと診断されたのは、それから十年後ぐらいにある日本の病院に『医療保護入院』(保護室へ)になったとき

(入院中に両親は一度も面会に来ませんでしたが…)



とにかく、それまで、旅をしたり、ボランティアをしたり、武道(空手)をしたりとあらゆるできる限りの努力はしました。



でも、その時本当に必要だったのは…



初期の段階で、ゆっくり休んで、治療をすることでした。



でも、自分でも病気だという認識がなかったのです。

(ずっと、鬱状態だと思いこんでました)




入院中に病気(統合失調症)だと診断されて、通院して適切な薬を飲みはじめてから


時間(10年弱)がかかりましたが、なんとか社会復帰しました。



まぁ、そこまでも、またかなり無理をしましたが、自分の病気を少し理解していたのと、薬と医師の助けがあったので、なんとか乗り越えました。



それと、その頃出会った


鬼束ちひろの曲



彼女の歌を歌っていると、初めて日本語で感情を吐き出すことができた感じがしました。


なので、今でも彼女の《鬱積した感情や魂を必死に吐き出すような》初期の歌が好きです。




なんとか就職して(自分にとってはかなり恵まれた環境で)仕事をさせてもらい、妻にも出会い、幸運にも《地獄の底の裏》から脱出できました。



マザー・テレサの力も少し(意図的な乱用ではありませんが)お借りしました。

(助けてくれたのかもしれません)




今になって


これも以前ブログで書いた


『情けは人の為ならず』



という言葉を噛みしめてます。




現在は、父は亡くなり、その他の自分の家族や親類とは縁を切った形になっていますが、それで良かったのだと感じてます。




ですが…



ブログを拝見していて、


両親や家族思いの人や、子供の問題に温かく接して見守っているのを読むと羨ましく感じたりします。



でも、自分の中で今は、過去を昇華できていると感じていますし、それがなかったら普通の人生を送っていて、様々な経験が出来なかった、そう感じています。




まぁ、悩み、苦しんでいたときに人生にとっての大切なことをたくさん学びました。



だから、ある意味、感謝するべきなのかも…



あくまでも、結果的に今思い出すとですが…



辛い経験が沢山ありますが、「自分が一番可哀そう」なんては全く考えていません。



まだまだ大きく体調を崩すことがありますし、服薬と通院は必要ですが、

(たまに入院勧告)


今は希死念慮や形而上学的な(metaphysicalな)問題に心を悩ますこともなく、妻のお陰で今は(過去と比較すると)大変幸せな生活を送ってます。



I feel, in retrospect, all of my past had illuminated my life and soul, eventually.



もしかしたら、マザー・テレサと直接お会いした時に、無宗教無神論者の自分にかけてくださった


「GOD BLESS YOU」


という言葉の効力が今となって出てきたのかもしれません。



God helps those who help themselves.


という言葉がありますが、


自分的には、


God helps those who help others.






皆さんが幸せな人生を送れるように、心から願っています。



救ってくれた

一青窈の「ハナミズキ」

 


読んでくださっている皆さんと全ての人に捧げます。



人生を謳歌してくださいね



なんて書くと遺書みたいですが…


現在は大丈夫です





以上です。






書いていて、ちょっと涙が出てきましたが、


「ここで整理しとかないと」という執念で書き終えました。



なんか、投稿することで過去と決別できる気がします。


(でも、また書いたときには、どうか温かい目で読んでくださいね)



書ける範囲でですが、あまりまとまってない文章と自分勝手な悲観的な内容(単なる愚痴)ですみませんでした。





エンディングは、

「ブラザーサン・シスタームーン」から

 






最後まで読んでいただいた方々、本当にありがとうございました。




m(_ _)m