![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230426/15/vaishadora/82/9a/j/o0640036015275739700.jpg?caw=800)
「他の人のためにしたことは、周り巡って自分に帰ってくるもんじゃないかな」
竈門炭治郎が、前回の「鬼滅の刃 刀鍛冶の里編」で時透無一郎(霞柱)に言っていたシーンがありました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230426/15/vaishadora/f8/4e/j/o0850047815275739704.jpg?caw=800)
最初から余談ですが、自分は以前に『霞柱(かすみばしら)』を『霜柱(しもばしら)』と間違えていて、妻に笑われました。🤣🤣🤣
この炭治郎の言葉を聞いて、あることを思い出しました。
それは、三十年ぐらい前のこと…
このたぐいの個人的な思い出話や、ボランティアなどの活動、ちょっとした宗教の話が好きでない人はスルーして下さいね🌷
詳しくは、話せませんが、
自分は若い時から、ある慢性的な病にかかっていて、状態が酷いときもしばしばありました。
救急車で運ばれたことも2回ほど…
そんなわけで、三十歳を目の前にして、悩んだ結果…
このまま死ぬなら、「死ぬ前になにか一つ人の為にしよう」
そう考えているときに、ある言葉に偶然めぐり逢いました。
「Seek and You Shall Find」って感じかな?
それは
マザー・テレサの言葉で、
「最大の病はハンセン病や癌や結核などではありません。
それは誰にも必要とされず、誰にも気に留めてもらえず、すべての人から見捨てられているという孤独です」
心にピンと響きました。(琴線に触れた?)
今思うと、運命だったとしか言えません。
カルカッタ(コルカタ)のマザー・テレサの施設の話は、放浪の旅をしているときにある欧米人のバックパッカーのカップルから聞いたことがありました。
ただ、その時は「ふ~ん」としか聞いていませんでしたが…
その時は、自分にとっての時期ではなく、《呼ばれていなかった》のだと思います。
しかし、人生には何度か《呼ばれている》と感じることがあります。
その時には、まるで脱水状態の人が水を差し出されたように自然に行動できます。
それは必ずしも楽な道ではありませんが、不思議に努力ができ、後悔はしません。
反対に打算的に行動したときは必ず後悔します。
その一つが、カルカッタのマザー・テレサの施設の「死を待つ人々の家」でボランティアをすることでした。
心が決まれば、迷いません。
基本的に、自分は自分で考えて、人に相談せずに行動する(結婚前まで…)ので、誰にも言わずに勝手にインドへ旅立ちました。
でも、決して『その人たちを救ってあげよう』などとは考えていません。
ほぼ無意識です。
callingというのかもしれません。
コーリングとは、キリスト教の考えで、神に与えられた宗教的な天職などと言われますが、無宗教無神論者の自分にとっては「使命感、強い衝動、強い希望」と言う意味で使ってます。
たどり着いたのは、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230426/17/vaishadora/72/c0/j/o0633108015275788476.jpg?caw=800)
カルカッタの施設では、あまりにもたくさんの貴重な経験をさせてもらいました。
英語が役に立ちました。
そのため、他の欧米人のボランティアやシスターなどとコミュニケーションが問題なくとれて、そのおかげでいろんなことを学べました。
特に、施設や患者さんたちの裏話(運ばれてきた経緯など)やシスターの愚痴(本音)も聞けて充実してました。
頑張って、英語をやっていて良かった。
まさに、このときのために留学の道を選択したのかもしれません。
可笑しいのは、施設でインド人のワーカーさんやシスターからよく「何々をしてくれる?」と頼まれました。
どうも、欧米人には頼みづらいみたいで、英語ができる日本人の自分に頼み事をしてたみたいでした。
リハビリの手伝いなどの他に、よく頼まれたのは、亡くなった人を担架に乗せて車で火葬場に運び、火葬にすること。
まぁ、当時のインドでは公然と火葬にするのは見たことがありましたが、それまでお世話をしていた人が、火葬場の隅の方でヒッソリと、目の前で焼かれていく姿は今でもよく覚えています。
先ず包んであるシーツが焼け、皮膚が焼けて、やがて灰になる。(薪での火葬は5時間ぐらいかかるので、大抵は火がつけられてからすぐに、お別れをして施設に戻ります)
自分は信仰心が全く無いのですが、何かの縁としかいいようがなく、自然と手を合わせてました。
その人たちにとっても、まさか自分の最後を日本人の自分に送られるとは思ってもいなかったでしょう。
人生は不思議です。
ボランティアの時の経験、体験、思い出は書いているときりがないし、ここではとても書けないような惨状にも出くわしました。
その時は、その夜寝られなかったし、その後ずっと脳裏に焼き付いていて、たまにフラッシュバックの状態になります😱
でも、そんな中で、
おそらく最も大きな経験は、インドの路上から人がひどい状態(瀕死の状態)で運ばれてくる野戦病院のような、劣悪な環境で《彼らのために》無我夢中で働いていて、彼らを助けているのではなく『実は、彼らに救われているのは自分だ』と実感したことです。
でもそれは多くの(たくさんありすぎる)経験の一つににすぎません。
余談ですが、
もう一つ面白かったのは、
ある時、長く滞在していた超ボロホテルに一人の若者が訪ねてきました。
(自分も若かったけど)
「カルカッタのパラゴンというホテルの二階の大部屋にこういう人がいる」と言うことを聞いて、タイのバンコクから来たそうです。
どうやらカルカッタで知り合った旅行者がバンコクで話をしたみたいで、笑えました。
(ちょっと嬉しかったり…)
6ヶ月間(主のように)巣食っていたドミトリー(大部屋)の自分のベッド(施設の患者さんの環境より汚い😱😱😱)
でも『衛生面には非常に気をつけてました』
その他にも、インドを旅行中の多くの大学生などが、「マザー・テレサの施設でボランティアをしたい」と言って訪ねてきました。
あとは、ボランティアが感染症で病気になったりしたときには、病院に連れて行ったり(インドのドクターは英語が通じます)、食事の世話をしたりと超多忙な日々でしたが、
人生で最高に楽しかったし、最高の思い出と経験になりました!
閑話休題
やっと本題です
ある時、一人の青年が訪ねてきて、
「マザー・テレサの施設で働こうか迷っている」
と言う話でしたので、自分は偉そうに…
「今はその経験が必要でないかもしれないけれど、いつか人生でこの経験が必要となったり、恩恵を受けるかもしれないから、自分もクリスチャン(キリスト教徒)ではないけど働いてるし、試しにやってみたら?合わなかったらやめればいいし…」
というようなことを、いった覚えがあります。
その言葉は、その十年後ぐらいに自分にそのまま帰ってきました。
帰国したあとも、自分の病は続いてますが、後々(その十年後ぐらい)になってから、大変大きな恩恵を受けていると感じてます。
そこでの貧しい人たち、シスター、ボランティアの人たち、特に、飢餓や病気でなくなっていく方を看取らせえいただいて、彼らが自らの命をかけて教えてくださったことには、ただただ感謝という言葉では表せないほど大きなものです。
まさに、『情けは人の為ならず』
というお話でした。
ただし、何事にも副作用があり、
それは、先程のフラッシュバックの他に
「日本の普通の社会に適応できない」
「もとから少なかった物欲がさらになくなりかけていること」
かな🤣🤣🤣
ただし、
十年ぐらい前に結婚して、食の教祖様(食の大魔神)の妻から食欲(食物の美味しさ)を伝授され🤣🤣🤣、贅沢はしませんが、美味しい食生活を楽しんでます。
最後まで読んで人生の一部を共有していただき、本当にありがとうございました
🙏🙏🙏