いろいろなことがある。
28日土曜日午前、元生徒の工務店勤務の「イッチー」を呼び出して、「設計図」を示す。
これは、教室事務所入り口のチラシ置き丸テーブルが損傷し、そもそもこれの高さがソファの位置に比べてやや高いので、ちょうど良いものをネットなどで求めたがこれがないので、「自作DIY」を想起して、表て面45センチ×65センチの上版ガラスボードテーブルで、裏側A3、B4コピー用紙の収納場所を作成しようと思い立ったものである。しかし、その細かなところを美しく仕上げる「技術」と「道具」が自分にはない。そこで思いついたのが、奥多摩古民家裏焚き火施設を造成した、モノ作り大好きの「イッチー」の存在である。彼の助けがあればこれはできる。
てなわけで、来てもらった。
設計図を見て完成形を想像した職人イッチーからは、色、素材などについて、繊細かつ大胆かつ常識的なアイデアが次々と出されたが、結果的に私との折り合い時間がないことから彼が作成してくるということに相(アイ)なった。
なんと言うことだろう。私が作らなくても、材料から制作まで全部やってくれると言うのである。
そこで、「乾杯!」ということに相なったが、いくらなんでも昼間なので、また午後から授業もあるので、作文授業をしている「レイセン」の終わりを待って、隣の隣の焼肉屋で会食。
工務店の仕事が、外国人を含めた労働者に支持を出すことであることがわかって面白かった。
そのあと全員、各々の仕事に別れた。
しかし実にいい気分である。
自作のアイデアをもっと上手に、しかも楽しんで仕上げてくれる人が周囲にいる。
運と縁。
これで熱帯魚水槽の進展に集中できる。
あとは再掃除と新魚投入である。
しかし、今日表ベランダの水槽から移したミナミヌマエビ稚魚は、あっという間にパファが追い始めた。
苔喰いサイミアーズを入れるしかないが、こいつらは水槽隙間から飛び出る「フライング・フォックス」である。
あまりフグに食われないヤマトヌマエビも必要である。
夜はリベラルアーツ上級で、『貞観政要』を読んだ。意見活発でなかなか面白い。
しかしさらに興味深いのは、各人がそれをどのように「抽象化」していくのかという観点だ。
おそらくこれを今会読するグループは、諸大学ゼミを含めてもまずないことであろう。
生徒たちは簡単に口にする。
「これはまるで儒教孟子的ですね」
「この部分は韓非子法家的」
「信賞必罰には深慮が必要とは言えている」
「実は唐代思想底流は道教的。李さんというのは、老子の子孫を意味するけど・・・」
中国人とは、日本人には想像できないほど大雑把でありダイナミックであると思われる。
縄文土壌の日本人からすると考えられないくらい「リラックス」する能力がある。
大陸中国人の究極の理想は、ある意味、豊かで思い通りでワハッハ。
これが共通する「価値観」の大部分であることは現代の日本人も否めないが、だからこそ「諫言」がなければ統治できなかったと言えよう。
実は、「諫言」のニュワンスは、限りなく「密告」的である。
つまり、「情報収集」がその「ネライ」である。
その「情報収集者」が「王」であるとき、「諫言」を奨励するとは、一方反政府的動きを察知しようとする試みに他ならないことが浮かび上がる。
平安皇室、北条氏、徳川氏、明治以降も皇室も政治家も皆読んだと思われるこの書籍の極意、それは『韓非子』的、「上のしていることが下にわからないことが統治成功の秘訣である」と言うやや狭いヴィジョンから、政権体制を維持するには、庶民の思惑を把握して、それに迎合したかのような政策をして見せることであると言う、ある意味で「近代政治」にも伝わり続けているマスメディア的「哲学」を述べていると言える。
『貞観政要』―そこに決定的に欠けるのは、庶民を賢くすると言う教育的視点である。
つまり、支配者だけ賢くなれば、庶民は「従順」であればそれで良いという「思想」である。
これは庶民は支配者から見れば「別人種」の、あたかも「家畜」のような下等な存在という認識を前提にしなければ成り立たない「思想」であり、「家畜」は、馬鹿ににされていることに気がつけないくらい「バカ」であるという認識が前提になっているということである。
「事実」を申し述べても意味はないが、自民党総裁選でも、立民党首選でも、人々を賢くすると言う視点で教育が語られたことが全くないことを、多くの人が全く意識せずに通り過ぎるところに既成の「教育」の「効果」があると言えるのかもしれない。なんちゃって。
みなさんご存知の通り、実はこのブログは「冗談」で書かれていることになっているのである。
リベラルアーツ初級次回10月5日は休講。19日に『論語』を読む。