JOKER.松永暢史のブログ

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JOKER先生のブログ

知性同様に感性も多様であるのは当然のことである。

個々の人間は「多様」であり、その「感受」の有様も個々それぞれに皆異なっている。

我々は、その存在の継続のために周囲環境からの「情報」を感受して生きている。

光、音、匂い、味、触覚―これらの刺激に対して、各々それぞれに「感受」があり、それが心(脳)で反応・処理される。

似た人はいても、全く同一の人はいない。

色に敏感な人もいれば、天体に敏感な人もいる。

雑音に敏感な人もいれば、音楽や自然音に敏感な人もいる。

匂いに敏感な人もいれば、香りに敏感な人もいる。

酸っぱさに敏感な人もいれば、甘さに敏感な人もいる。

くすぐったがりもいれば手触りを楽しむ人もいる。

このいくつかが混ざり合ったその先にその人のその状態における「感受」が起こり、それが脳で知覚処理されて、「感情」となり、それがまたその人個々のものとして「集積」されて習慣化されていく。

こうしてみると、個々の人間の感性あるいは感覚というものは、幼児からの周囲環境からの刺激体験の集積によって構築される「後天的」なものだと言うことができよう。また逆に、ある感性が顕現してもそれを周囲が無視乃至は無反応であることにより、そうしたものが失われるということも起こりうる。

空がきれい

鳥が飛ぶのが見える

風が心地よい

雲が行く

花の香が漂う

虫の羽音がする

果物が美味しい

布地の肌触りが良い

実はこうしたことは、そこに共感する人がいないと育ちにくいことなのではないか。

「HSP」などと言うが、知性同様、感性も優れていた方が人生を味わい深く楽しめることは明らか。

そしてその感性は後天的な要素が濃い。

つまり、周囲が育むものであることになる。