リベラルアーツー『論語』 | JOKER.松永暢史のブログ

JOKER.松永暢史のブログ

教育相談、執筆・講演依頼は松永暢史公式サイトよりお願いします。

15日リベラルアーツ初級は『論語』を読んだ。「為政第二」には、「我十有五にして学に志し・・・」、「温故知新」などの有名なものが多いが、生徒たちには非常に参考となる考え方のようだった。私はこれを日本人が文化的に「定着」させており、普通はそのことに自覚的になることは難しいことを強調した。

「八佾第三」には、「孝」についての記述が多いが、これが今の子どもにはピンとこない。もう世の中では父母に敬意を持つと言う習慣はほとんど失われているようだ。これは、少子核家族化の流れの中で、またメディア情報過多の中で、親たち大人に対して、感謝の気持ちは持てても、尊敬の念までは持てないことを意味するのか、「儒教的衰退」である。ともあれこれが「事実」であることが確認された。このことは、既成の一つの文化的傾向が子どもたちに受け継がれず、近い将来完全に消失して、代わりに別のものが現れてくることを暗示する。

子どもたちが周囲の大人に敬意を抱かない文化的傾向。ここでは「徳」についての議論にもなった。「徳」がなければ尊敬できない。しかし現代社会では、徳が高いと自負できる人間は滅多にいない。「徳」はそれほどに忘れ去られかけたものになっている。それは「事実」である。私たちは「徳」を価値基準の要素に含まないようになりつつある。それは正しいことなのか。

リベラルアーツの良いところは、一つの文化内の探索にとどまらず、広く海外主要古典を読むところである。旧約聖書でユダヤ教、新約聖書でキリスト教、仏典で仏教、プラトンでソクラテス・ギリシア思想、そして『老子』、『韓非子』・・・etcと偏らずに遍く読むことにより、思想どうしの比較・考察が可能になる。そこで起こることは、何らかの思想にとらわれない、各々の思想がどのようなレトリックによりどのようなことを強調しているかを知る「体験」である。そして自分たちの文化の客観化の体験である。

良いところも悪いところも、共通するところも共通しないところもある。この「事実」を知ることが大きい。複数の思想を比較考察する。するとその先に、視野の高い頭脳活動が顕現する。物事を深く考察する自由なアタマが得られる。

『論語』は言行録なので、各々のトピックスが誰が耳にして伝え残したものなのか、その視点も大切である。

さて、リベラルアーツ上級は、ルソーに嫌気がさして『イーリアス』で遊んでいるが、とかく会講が途絶えがちになっている。次回は休講予定を変更して来週22日に行う予定。新規の参加者を歓迎するが、『イーリアス(上)』(岩波文庫)を購入・持参されたい。29日は奥多摩合宿予定。初級次回は7月6日。