選挙のことはあまり詳しくないが、調べてみると、そもそも私が住む武蔵野市がある東京第18区は、武蔵野市、三鷹市、小金井市が一つの選挙区だったのが、2002年の選挙法改正で三鷹市が調布市と狛江市と合体して22区に抜けて、22区から府中市が加わって、武蔵野市、小金井市、府中市となっていたが、2022年の法改正では、府中市が新設の第30区へと外れて、代わりに19区から西東京市が合わさり「18区」となっている。目まぐるしい変化だが、まだ新編成区での衆院選はない。
前回2021年の衆院選では、立憲民主党の菅直人が当選しており、そこへ次点で紆余曲折を経て自民党公認の長島昭久が比例区当選したが、府中が地盤の長島は多摩市、稲城市と合体した新設の第30区に移ることになっている。首相を務めた菅は比例区を含めて旧東京7区(渋谷・中野)の時から13回連続当選だが、引退を表明している。長島はそもそも東京第21区(立川市、日野市)から民主党の公認で当選を重ねていたが、2017年に民主党と維新の党が合流した民進党が共産党と共闘路線をとることになったことを嫌忌して離党。2019年に自由民主党に入党している。
以上が意味することは二つある。一つは地価の高くなった23区より外の住宅地化が拡大して郊外人口が急速に増大したこと。もう一つはそうした地域ではかつての杉並や中野区のように、反自民勢力が強いと言うことである。また自民党候補者でもかなり「リベラル」な印象がないと当選しづらいと言うことになる。
「昭和記念公園」はご存知でも、こちらはその元となったことだとご記憶にある方は少ないと思うが、1955〜1960年に「砂川騒動」と言うのがあった。
これは、米軍が接収しようとした立川基地近辺土地所有をめぐっての闘争だったが、結果的に米軍は接収を諦め横田基地に移転した。その結果、返還されたのが、昭和記念公園のある敷地だった。ここで活動した者たちは三里塚に闘争の場を移して行ったと言う。
そのことは、かつての中野や杉並同様、都心で働く労働者が多く移住した地域ということを示す。
「労働者」で自民党に投票するのではあまりにお人好しだから、やりすぎ資本主義に反感を持つ人たちは、旧社会党系や共産党系に投票する。
しかし、同時に立川が、なぜ多くの芸術家が居住する地域となったのか。このことが私の関心である。
立川市長選を見ると、砂川事件以降の立川市長は、
1957年から3選の桜井三男は、砂川町を合併した元市議会議員。
1967年鈴木清は元市職員。
1971年阿部行蔵は歴史学者で社共が押した。
マルクス主義経済学者美濃部亮吉が東京都知事に当選したのは1967年のことだった。
1975年から3期勤めた岸中士良は、保守系が推した医師。
1987年から5期勤めた青木久は、元市助役。
2007年から4期勤めた清水庄平は元職員で自民党推薦。
2023年当選の酒井大史は反自民系。
砂川事件以降の60年代後半以降、反自民系の市長、あるいは政治色が少ない実務派が選ばれてきたことになる。
多くの新住民が移り住んでくる中で、その市民が喜ぶことは何か。しかも経済効果が大きいものはいかなることか。
市長以下市役所はそのことにアタマを絞ったに違いない。