私は、JR中央線で言うと「高円寺」の出身であるが、都市内では極めて「出不精」であり、車で行くには交通の便が悪い講演などの時以外は、電車に乗らない。「焚き火」の時などは必ず車で外出する。
1日久しぶりで、JR中央線に乗った。
それも久しぶりで高尾方面に乗った。
吉祥寺で中央線「青梅」行きに乗り遅れて次の「通勤快速・大月」行きに乗ると、三鷹で「青梅」行きを追い越し、国分寺で「高尾」行きを追い越し、16分で立川に着いた。
時刻表を見ると、青梅行きは1時間に3本、通勤快速・大月行きは1本あることがわかるが、時間によっては「通勤快速河口湖行き」と言うのもあるので驚く。ちなみに吉祥寺から高尾までは33分、大月までは78分とある。だーれが乗るのかわからないが、河口湖までは150分とある。酔って寝過ごした時には大変なことになるかもしれない。ともあれ昔の終点「高尾」は途中通過駅になっている。これは人々が自然と安い土地を求めた結果であろう。「特別快速」と言う言葉は無くなっていた。
わずかの間に、次々と昔懐かしい名前の駅を通過して行く。
2008年に高架化。三鷹以降も、上り坂のはずなのに高架を走る。
武蔵境?あれれ、昔向こうに見えた西武多摩川線ホームはどこへ行った。
武蔵小金井?なんでこんなに駅前にビルがあるのだ。何にも見えやしない。ここは、折り返しのホームがあったはずだがそれがどこかもわからない。子どもの頃墓参りの時に並んだ線路脇の砂利道のバス停はどこへ行った。
国分寺?なんだこりゃあ?国分寺のオババがいなくなって何年経つというのだ。
その国分寺からバックパックを前につけた40くらいの男が、やや混んでいる車内に勢い込んで入ってくると、そこに座ろうとした男性老人をかき分けて、今空いたばかりの座席に、素早く座り込んだ。乗る前に外から確認していたと思われる。座るとすぐにスマホを出していじり始めた。シルバーシートだった。向かい側もよく見ると、それより若い男女も座っている。これは奥が長い人たちなのか。乗っている人に余裕がない印象。小田急線急行小田原行きみたいだ。座席の値打ちが高い。
阿佐ヶ谷、高円寺、西荻窪とどこか似ている、鉄道が高架化した駅の街。
違うのはやけに背の高いビルがたくさんあることだ。
線路脇にはどこまでも小さい住宅がびっしり。
そこにまるで斜面を切り拓いたゴルフ場のようにマンション群があったリする。
車内は、ゴールデンウィーク目前の疲れた人々。皆ここぞとばかりにスマホをいじる。
チラ見確認した限りでは、女性の多くはSNS。男性は買い物、ゲーム、マンガなど。
彼らの共通点は、日常忙しくて自分の時間をゆっくり取れないことかもしれない。
立川で下車して改札を出て、多摩モノレール「立川南駅」に移動する。改札を通って外に出ると、そこは人間だけの「空中歩道」。犬はいても自転車はいない。車やバスは下を走っている。
このモノレールは、中央道でも、甲州街道でも、五日市街道でも、数えきれないほどくぐった記憶があるが、実は乗るのは初めて。見知らぬ関西の地域にでも来た時のような気分。
小田急多摩線と京王相模線の駅のある多摩センターから北上し、京王線分岐駅の高幡不動で京王線と、立川でJR中央線、青梅線、五日市線、南武線と、そして玉川上水で西武拝島線を結ぶ。その間に、明星大学、中央大学や多数の公共施設を通過する。
これを発案・実現させた人は「エライ」と思う。
芋窪街道の上を北上した終点「上北台」は、そこから新青梅街道の上を西に移動させ、八高線箱根ヶ崎方面への延伸が期待されるが、東大和市。立川からなんと13分である。もしそのまま北進するルートも取れば多摩湖を越えて西武狭山線西武球場前に至ることも可能であるが、なぜかその計画はないらしい。
このいささか申し訳ないが、どうしようもなく交通の便が悪い地域を南北に貫いて、あっという間に都心を経由することなく目的の幹線に至れるようにしているのがこの多摩都市モノレールである。住宅地化が進んだあとから作るから、下を走る用地買収が間に合わない。ならば道路の上に作っちまえというわけである。
モノレールと言えば浜松町から羽田に行く東京モノレールしか乗ったことがないが、多摩都市モノレールは4両で静かに走り車掌はいなかった。
すベてオートマチックで、駅に駅員がいる感じがしない。まるで宮崎駿作品に出てくる未来の鉄道機関のような感触だった。
総延長でも36分。乗り換えで乗り降りする人が多いのか、人々はドッカと腰を落ち着ける気配ではない。座席の価値が低い。
こちらも目的地が次駅の「柴崎体育館」なのでわずかの乗車でちょっと残念だった。ホームの窓から見ると、そこに広がる立川公園の新緑が美しかった。今日の目的地は、その立川公園北側斜面にある Artistic Studio LaLaLaである。