V-netの入り口右手には青いソファーがあり、その上の壁に、昼夜灯りを消さない葉脈を照らし出した「作品」がある。
V-netにある他のアート作品群の中で、最も「主張」が少なく、 にもかかわらず他に類するものがない「造形」。
これは、「造形作家」川村忠晴氏の作品で、使われているのは信州の山奥で発見して来た植物の一部である。
その川村氏が、GW中に立川で共同展覧会をすると言うので、パンフレットが送られて来たので以下寄稿した。
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One Leef 自然そのままの美―川村忠晴作品に寄せて
External Nature imitates Art―(外界)自然は芸術を模倣する。
これは、19世紀英国の作家のオスカー・ワイルドの言葉である。
前4世紀古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、「芸術は自然を模倣する」という言葉を残しているが、ワイルドのその言葉への反論ともみなされる「警句」ではあるが、近代以降の芸術家にとって重要な問いかけだと思う。
「模倣」の前に「認識」がある。
自然の美しさを認識してそれをより美しく映し出して見せる。
すると、その映し出したそのものの方が自然より美しい「認識」を与えることが示される。
芸術的な認識があってこそ自然の美の認識があるということになる。
そして、「自然」は、その芸術的な認識の下に再構成されることになる。
その認識の根底には、セザンヌ以下全ての芸術家共通に、「感性」がある。
芸術は自然を模倣する。
自然は芸術を模倣する。
これを同時に昇華・解決するものは何か?
川村忠晴氏の作品に接すると、いつも私が思うことはそれである。
人が気が付かない隠された自然の美そのものを発見・抽出してくる。
そしてその「美」を最大限に引き出すことを実現しようとする。
彼が伝えたいのは、「ねえこの葉っぱ本当に綺麗としか言いようがないでしょ」ということに尽きる。
つまり、鑑賞者と自然の美そのものを直接共有することが彼の目指すことである。
これは「アート」なのだろうか?
「アートである!」
なぜなら自然をそれ以上に美しく見せるから。
自然は芸術を模倣する。
芸術は自然を模倣する。
その両者を「昇華」させる。
自然そのものを芸術にする。
敢えて謙虚に「芸術家」を標榜しない川村氏は、他の何者も試みることがないことを試み続けるアーティストである。
その最も鋭敏繊細な自然への愛と感性の所有によって。
『葉っぱと 葉っぱと 葉っぱ展』は、明日4月27日から5月6日まで、立川公園LaLaLaで開催される。共同展示者は仲宗根浩『葉っぱたちの音楽隊』と、群馬直美『みんなちがう みんな主役』。1日夕には、新谷祥子(マリンバ)、佐藤康子(25絃箏)、橋爪恵一(クラリネット)のセッションもある(有料)。3日には、川村忠晴市直伝の葉っぱで作る万華鏡ワークショップ(有料)もある。LaLaLaは立川市柴崎町4−3−2。電話は、090−2564−3198。30日はお休み。