「ぐじゃぐじゃ」についての出来事について | JOKER.松永暢史のブログ

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私はフリージアが大好きで、昨年秋もたくさんの球根を植えつけた。

母にもらった球根をきっかけに、10年近くフリージアを栽培した結果、毎年植えたものの3倍以上の球根を収穫し、その約半分をHiru-netのバザーに出してもらったりしていたが、それでも昨秋は6つの大きな植木鉢と大プランターいっぱいに植え付けると、大中小の3種の球根から思いの外よく葉が生い茂り、花をつけるとは予想しなかった小球までもが多くの花をつけた。大きいものはなおさらで、一株から15以上の花を咲かせた。これにはトマト栽培の経験から得た「知恵」もあったが、めちゃくちゃ寒くはならかったこの冬の気候のせいか、また春先すぐには暖かくはならなかった天候のせいか、あるいはそれなりに手塩をかけた結果か、まるで満開桜の樹のような体を成した。

これを、やや冴えなかったアネモネの大プランターと、なかなか咲かないルピナスを取り除いたリビング前のデッキに運び移して並べると、「百花繚乱」ならぬ「一花色とりどり繚乱」の有り様が楽しめることになった。

私は、阪神ファンが阪神ファンであるのと同様にフリージアの大ファンである。

とにかく好きだから好き。

早朝入浴瞑想直後、リビングの御簾型の上下移動レースカーテンを半分ほど引き上げてその前に座ってそれを眺めると、なんとも言えぬ好い気分に浸ることができる。

赤、薄紅、薄紫、黄、橙、橙黄混じり、そして「ピンク」。なんと美しい。中にある「白」がかえって最も素晴らしい色だと感じさせたりもするほどだ。その背後に大鉢にドーム状に咲き誇るイベリスの冴えた白色でさえ、フリージアの見事に鮮やかな色とりどりの色彩には敵わない。

素晴らしい!なんと美しい!いつまでも見つめていることができる。

清少納言流に言えば、「はたいふべきにあらず」か。

これを朝、後から起きてきた家人に出くわした時、予めそう言えばきっと怒って見せるはずとは予想するものの、「美しいあなたへの美しい贈り物だ」と「冗談」で言ってその反応を楽しもうと密かに企んでいたが、「敵」もさるもの、毎朝執筆中に、彼女が起きた後のリビングへ行くと、そこではレースのカーテンが降ろされて、そのカーテン越しに外のフリージアがボヤけて見えるようになっている。

言って見ようと思った言葉を諦めて、

「なんでカーテンを下すんだ。貴女にはこれが綺麗だとは思えないのか?」と言うと、間髪を入れず彼女は返した。

「ぐじゃぐじゃ。ぐじゃぐじゃはレース越しの方が良い。」

思わずややひるみそうにもなったが、ここで、フリージアの色の美しさを愛する男の気持ちがわからない女に、習慣経験的に腹を立てる本当の自分の心を押さえて、

「これがぐじゃぐじゃに見えるのか?」と言い返すと、

「そうよ、貴方のやっていることらしいわね」と宣う。

50年近く知悉して、私の友人付き合いの多くを葬り去った彼女の、私のしていることへの認識は、つまり「愚者愚者」。

「ぐちゃぐちゃ」とは言わないところにやや救いもあると思われるが、そのことへの満腔の怒りを滅却するのが「大人」と言うものであろう。

それにしても、単なる「ぐじゃぐじゃ」でこのようなことが起こりうるか?

「ふざけるな!」と言いたいが、よく考えると「Joker」に言うべきことも、

「ふざけるな!」なのである。

ううむ。この次の「手段」、「報復」の遊びを考える時点で、負けている自分があることを忘れよう。

 

フリイジア その名し負えば 自由なる  「愚者」に寄り添う ひとこそ笑はめ   (冗兆)