「感想は?」と聞かれれば、「ワッハッハッハハハー!」と言うことになる。
先月に続き、今月も満月奥多摩焚き火ジビエの会に参加した。
翌る日朝から仕事もあるので、私は宿泊しないが、まだ寒いのにここに集まる者どもは、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人・・・と皆私の音読授業を受けたことがある者たちばかりである。ということは、全員口が達者で、しかもやや深いニュアンスも汲み取る言語運用をする。しかも文章を書くことができる。
縦割りの少年集団の中で、微妙な年齢上下を意識した言葉使いがあり、しかもそれにもかかわらず、ここでは文言に「隙」があるときは、禅寺同様、すぐに「切り返し」が入ったりするが、やはり言語使用レベルが高い集団においては物事が滑らかに進むと観察される。
多くの人の賛同と協力で、この奥多摩古民家焚き火合宿が実現継続してきたことは考えられないほど大きなことだったと思う。
そこにあるのは単なる「リフレッシュ」のためや焚き火体験だけではない。少年集団が自由勝手にお互いの存在を利用して関わり合って時を過ごしていくこと、子どもらしく次々に変化を思いついてお互いに擦り合って活動すること、そしてそれが同時に自己の大きな存在確認になっていることー何と「効率的」なことか。
子どもは子ども同士で遊ぶ時に最も大きな「学び」を行っていると思う。同じではない者が混ざるから、そこには相互にそれなりに蓄積してきた知恵の伝達がある。そしてそのことが大人になってからの発想の元になるのだと思う。
ここには未来の学校が希求すべき新しい学校の「原型」があるように思われる。
子どもが集まって、勝手に学び合って成長していく教育環境設定。
体験が全て。
教育に携わる者の一人として、こういう場の実現に寄与できて、本当に幸福だと感じる。
晩餐は、例によって種々の野菜料理と鹿と猪のジビエ。
裸電灯の下で、少年たちがまるで大家族のようにワサワサ食事をする光景には、平和だけでなく発展のエネルギーさえ醸し出される。こちらが癒される。
食後は、ギター3本揃って、笛、太鼓、パーカションのアドリブの嵐で盛り上がる。
この「合宿」で、彼らは、好奇心と追体験、感受と心情表現の両者を体現していた。
囲炉裏古民家学習も年を経て確実に「進化」を遂げている。
子ども同士で思いっきり遊ぶ機会を失わせた大人たちが、子どもたちにこうした機会を与えることこそが最も大切かつ有効な教育環境設定だと思う。
そして本来、「学校」がそれをするのに最適な場所になりうることを忘れてはならないと思う。
賛同者とスタッフに感謝する。