私の魚遍歴ー最終回 | JOKER.松永暢史のブログ

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LEDライトに照らされた90センチの水槽内には、種々の水草の間を色とりどりの魚が泳いでいる。

アマゾン原産のネオンテトラとカージナルテトラの約25匹の群れ。

菱形のレッドファントムテトラ9匹は、同じく南米コロンビアの魚。

素早く動くサイアミーズ・フライングフォックスが5匹。これはタイの魚で苔を食べる。

パンダ5匹にステルバイ1匹のコリドラス。これらは低層掃除担当。

スネール(=貝)を食すアベニーパファー3匹はインドの淡水フグで水槽内最小である。

水面近くを泳ぐ楊枝みたいなのはカマスの仲間のサユリ科ゴールデン・デルモゲニー3匹。これはマレーシアの魚。

何かにへばりついているのはオトシンネグロ3匹。これはブラジル南部の小ナマズで苔を食べる。

ここに数匹の国産ヤマトヌマエビとミナミヌマエビが泳ぐと言うより動き回る。

みんなとても美しい。

見ていて飽きない。

14歳の時のエンゼルフィッシュと同じ。

なぜかじっと見つめていることができる。

それは魚が動いているからか。

何かをしているのが観察されるからか。

それとも生き物の言葉にならない不思議な魅力のなせる技か。

多くの生徒が楽しむが、全く関心を示さない者もいるが、それも然るべし。

昨年3月の事務所教室移転に伴い、新規の場所で私が環境設定しようとしたのは、そこを子どもたちにとっての「癒しの空間」にすることだった。都市内学校生活で疲れ果てた子どもたちに元気を与える場を作りたい。焚き火と古民家教育の次に私がするべきことは子どもたちに癒しを与える教育環境設定を実現させることだった。

最初にネットでこの井の頭公園実近の場所を見つけてきたのは今田だった。私はほぼ即決した。全ての部屋割り壁を取り除き、室内の間接照明と木調デザイン設計は上野が担当した。壁には私の所有の芸術作品を飾りつけ、原の提案で「お籠り室」も作った。お遍路帰りの大澤は近くに引っ越してきた。自家製「神棚」も作り、天井からは秋元秀成氏制作の高性能瓢箪スピーカーを吊り下げた。

玄関には気持ちの良いソファを置き、その上には私の芸術上の師である納富慎介の絵を飾った。さらにその横壁には川村忠晴氏の枯葉電灯コラージュ作品を掲げた。

さらにそこに、何本もの木の鉢植えを購入し、室内とベランダは植物でいっぱいになった。夏のベランダではトマトを育て、それを子どもらが食べた。冬の今はスイートピーとブロッコリーが育つ。

ベランダのトロブネには昨夏孵した多数のメダカが泳ぎ、その上の60センチ水槽にはバラタナゴと白メダカが泳ぐ。

そのほか知的玩具の棚、作業用移動可能長テーブル、その前に仰向けになれる150㎝のベンチソファも設えた。

やりたいと思うことはほぼ皆やった。

だが、まだ何かが足りない。

「完成」しない。

それはなぜか。

そこで上野さんに、「ここに90センチ水槽を置いて、さらにその上にバッチリの絵を購入せんとするがどう思うか?」と聞くと、彼はちょっと静止して、そしてニヤリと笑みを浮かべて、奥行きの深い真剣な眼差しで、

「それはもう、とことんやるといいと思うよ」と答えた。

その結果がこの目の前を泳ぐ魚たちの群れである。

そしてこれが現在の、子どもたちが喜んでやってくる吉祥寺御殿山教室事務所の室内の象徴である。

言うまでもなく私は、これまで最大の「魚遍歴」を過ごしており、毎日掃除と水替えと餌やりに勤しまざるを得なくなっている。

思えば、初めに「マンボウ」がなければこれはあり得なかった。そしてそこに「エンゼルフィッシュ」がいなければあり得なかった。そしてそのためのタナゴ漁がなければこれはあり得なかった。さらにはスナダや富澤との出遭いがなければこれはあり得なかった。

そして、もしその延長線上でここに富澤のことを記さなければ師が生存していることの確認ができなかったかもしれない。そう信ぜざるを得ない「偶然」が今回の執筆中の出来事だった。

今回珍しいことに、執筆連続を期待して、少なからぬ方から直接間接の励ましの声をいただいた。

それがあったからこそこの執筆を最後まで連続できたとも言える。

文章を書くのは面白い。それは次にそこに何が現れてくるのかわからないから。

それが追体験の連続になるから。

「偶然」はやってくる。

あたかも「必然」の如くに。

「偶然」はやってくる。                                                             

「追体験の旅人」を選択する者の上に。