「本当ですか!」、思わず声を張り上げてしまった。
「先日面会しました。中野区の福祉施設に入ってらっしゃいます」
心臓がバクバクする。
「生きていたんですね。ボケてなかったですか?」
富澤はかつて、「いつ死んでもいいが、ボケる前に死にたい」、とかねがね口にしていた。
「多少認知症は出ているみたいですが、会話することが可能な状態です」
「なんてことだ。信じられない!僕はてっきり亡くなったと思っていました。なんと有り難いことだ。すぐにお会いしたい。そうして手でも握ってやりたい」
「こちらは、お持ちになっていらした書類の中に松永さまのお名前を見つけましたので、失礼ながら勝手にお電話させていただきました」
「いいえとんでもない。よくご連絡してくださいました。ありがとうございます。感謝します。それで、どうすれば富澤に会えるんですか?」
「それが、親族さまではないので、あちらさまからのお望みが確認されなければお繋ぎできないことになっています」
「やっぱりそうですか。ではお待ちしていますので是非よろしくお願いします。私は富澤との共著もある者です」
これを言いながら、すでに予めネットで検索しているかもしれない、「書類」と言うのは、本の著者名を見てのことではないのかという考えも浮かんだが、だとすれば、電話番号はどうしてわかったのか。やはり不動産屋の保証人の書類がもとではないか。しかし、女性の声は庶民的ながら上品で、内申点の取りやすい性格の良いきちんとした人に思われて、改めて感謝とお願いを伝えて電話を切った。
信じられないことである!
死んだと思った人が生きていた!
師は1937年生まれ。だとすると、この1月4日に87歳になっていることになる。
若い頃に強いタバコを吸いまくり、あのホームレスも経験する厳しい生活をして、胃を半分切除する手術を受け、84歳で再度倒れて長期入院して、その後あたかも老子の如く行方不明。死んだとしか考えられなかった。これまでアパート保証人の私にはなんの連絡もなかった。そんな彼が長生きしているとは今や驚きとしか言いようがない。
ともあれ完全に他界したと思い続けて3年。
その師が「生き返って」きた。
これはここにこれを書いていることと何か関係があるのか。
いやそれは偶然である。
偶然に違いない。
しかしそこに偶然ではない何かを感ぜざるを得ない自分がいた。
これを書かないと、ひょっとしてこういうことは起こらなかったのではないかと。