これを書いている2月1日のことだった。家人が、「中野区役所から富澤先生のことが何ちゃら留守電が入っているから聞いてみれば」と言うので、なんたる偶然と思ってこれを確かめると、丁寧な女性の声で、「こちら中野区役所生涯福祉課のものですが、富澤進平さんのことで、お知り合いの方かと判断して、大変勝手ながら松永さまにご連絡させていただきました」とある。
すぐに電話すると、「富澤さんのお知り合いですか?」と言う。
「恩師です」
「まあ、恩師ですか」
「そうです。僕を西高に入れたのは富澤です。今日あるのも富澤のおかげです」
第3学区中野なのでこう言った。
「と言うことはご親族ではないんですね」
「そうです。富澤は天涯孤独で知り合いもなく、アパートは私が保証人になっていました。ひょっとしたら異母妹さんが生きていらっしゃるかもしれません」
「生きていらっしゃるのは・・・・・」、相手のこの言葉を遮って喋り続けた。
「僕は富澤と月に一度風呂に行って寿司を食べたりしていました。ところがコロナ下で中野総合病院に入院して、それっきり面会できなくなってしまいました。携帯電話も通話不能になったので、看護婦さんに何かあったら連絡してくださいとことづけしましたが、だいぶ経って病院に連絡すると、在院しておらず、それ以上のことは生死も含めてお答えできないと言うことだったんです。すぐに富澤のアパートに行くと、そこはすでにも抜けの空。それっきりになってしまいました。せめて命日でも知りたいと思っていました」
「いえ、生きてらっしゃるんですよ」
「えっ?誰がですか?」
「富澤さんです」