カタカムナウタヒ、カタカムナ音読法を行うと、日本語のヒビキとリズムが体得される。
これはまだ意味のある言葉になっていない状態で、その「ベース」にあるものを掴むことである。
「音」は、耳から聴こえている。
これに対して「ヒビキ」は、脳に直接波動を伝え、これを感受することである。
「波動」はそれだけでは意味として伝えることはできないが、そこに「リズム」乃至は「テンポ」と思われるものが加わると、まるで異国の曲を聴いてなんとなくその心情がわかるような気になることが起こる。そしてこの時人は「耳」を得る。
この音は何を意味しているのか?
何度も何度も繰り返し耳にする音。
このような状態で音に耳を傾けるとき、人はそこに言語的意味性を感じ取ることができるようになる。
波動があって、リズムがあって、「耳」ができる。
やがてそれは脳の発達に伴って言語の意味性の習得に至る。
「耳」ができるからこそ、正確な発声ができるようになる。
なぜ赤ちゃんは、人間の声に反応するか。
それは実は人間の声に「波動性」があるからなのではないか。
そしてその「波動性」の元は、赤子の時にオギャーと大声で泣くことなのではないか。
ゆえに、もしも幼児に正確で濁りの少ない日本語原音を聴かせ、やがてそれを口の形をしっかりと意識させて自己口腔内で大声で音読させると、それ以上に効果がある脳内波動言語刺激の与え方は他にないことになってしまう。これでは単純なことすぎる。
誰もがやるべき言語能力開発メソッドを知ってしまった自分にできることは、これをできるだけ多くの人に伝えようとすることに他ならないことになってしまう。
歴47年の化け猫個人教授が言うよ。もしも子どもの学力を上げたかったら、子どものアタマをよくしたかったら、まずこれをやってみた方が良いよ。そしてこれを与えたことは将来子どもに絶対に感謝されることになるよ。全ての学力の基は、言語了解能力に他らないよと。