食事の前に | JOKER.松永暢史のブログ

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昨日は近地満月経過で、なぜかひさしぶりでタイカレーを食したくなって、ナス、タケノコ、パプリカそして鶏肉1キロ、おまけにカリフラワーも買い込んで、しばらくこれを日々の食糧にしようと考えて大タッパー3杯15人分も作ってしまった。とにかく外食が嫌なので、可能な限り自分で用意してしまう。その方が早くて安くて確実に旨い。

今日は音読指導者養成講座の最終回だったが、ずっとお世話になったお日さまのおうちの女性が「風邪をひいた」「うつしたくない」ということで、場所が護国寺近くの文京アカデミーに急遽変更された。これはいつも提供されるベジタリアンカレーが今日はないことを意味する。なんたる偶然よ。自分がタイカレーを大量に作ると、明くる日の昼食予定が消滅する。

いつも通り9時に3人で西荻出発。雨でやや混んで、しかもよくわかっているつもりで後部座席でくつろいでいると、久しぶりで行ったためにやや指示混乱して遅刻。

「最終回」とて、まずは「総復習」。

カタカムナ→『古今集』→『源氏物語』→『更級日記』→『徒然草』→『平家物語』→『東海道中膝栗毛』まで読んで、本日の最終課題、『教育勅語』→『加藤弘之演説用文書』→漱石『草枕』→『ソクラテスの弁明』と、翻訳文体を含めて明治以降の意味伝達の日本語のリズムを確認し、1945年の『終戦詔書』を読む前に、『ポツダム宣言』を読み、45年9月の「コード」をもってこのような文体が否定されたことを確認して、なんともヘンテコリンな不自然な日本語文体としか言わざるをえない『日本国憲法』序文を読んだ。この憲法の内包する、平和を前提とする、フリーメイソン的自由博愛思想の「精神」は伝わるが、残念ながらそこにあるのは「日本語」の伝統的音とリズムと意味の流れを伝えるものではない、日本人の憲法の文章としては相応しくないものであったことを確認し、合わせて『教育勅語』の、「一旦緩急あれば義勇公に奉し」という文面の「刷り込み」が、多くの無知かつ無辜の若者を戦争に駆り立てる根拠に使われたことも、日本人の集合概念的思考の弱点と併せて確認した。

これで終わるかと思いきや、会場ムードで、カタカムナを数種音読すると、空気整ってまるで「宗教団体?」(「統一教会」ではない)のような調和した和声が感じられ、そこにいることの「悦び」が増大した。

ここにおいて、これを共有確認した参加者を「祝福」すると同時に感謝の言葉を捧げたい。

この人たちは、未来を担う日本人の子どもの、あらゆる学問の元となる日本語能力を高めることが、「最善」であると気づいた尊い人たちなのである。

日本人は、「言霊」に弱いがゆえに、その「言霊」を乗り越える言語能力を身に付けなければならない。

そうでなければ、その瞬間に、「歴史的奴隷」に成り下がる

これについては、まだ書きたいことがたくさんあるがそれは新刊書の成り行きを見て語ることとしよう。

この後土砂降りの雨の中、「タイカレーあるよ」の声で、車中4人で自宅へ向かう。生野菜とトウモロコシ購入のためにグルッペに寄る。トウモロコシは食前の「appetite」用。

トウモロコシ用に大鍋に湯と塩。続いて米を研いで火にかける。同時に小鍋で卵3個茹でる。

ガス台が埋まったところで、サラダを作る。

その前にまず、夏蜜柑絞氷りソーダ水を給す。

リーフレタス、トマト、キュウリ。洗って水気を切って刻む。

茹で上がったトウモロコシの大鍋を外し、最初にこれを給すと「歓声」。

彼らは例の如く、トウモロコシを食べる方法についての「蘊蓄」に花を咲かす。

中鍋に冷蔵庫にしまってあったタイカレーを入れて温める。

食後のコーヒーの用意をする。

ゆで卵を剥き、カットしてサラダに載せる。

全部鍋ごとボールごと給して、大皿とスプーン、フォークを与える。

「いただきます!」

まるで「シロアリ」のような若者たちー給した物は全てなくなった。

実はこの先の話が書きたかったが、長くなったので、また明日その気になったら書きたいと思う。

夕方の生徒が来なかったので、帰宅してこれを書きかけたが、家人が「食事」と呼んでいる。