カタカムナ音読と自信について | JOKER.松永暢史のブログ

JOKER.松永暢史のブログ

教育相談、執筆・講演依頼は松永暢史公式サイトよりお願いします。

カタカムナ音読法を行い、古代から現代まで連なる名文古典を音読すると、まず文章がスラスラ読めるようになる。つまり、自分で本を読むことができるようになる。これは細かい振り仮名付きの文章を間違えずに読みこなせるのだから当たり前のことである。しかし、この結果、なぜか文章もスラスラ書けるようになるとは後で知ったことだった。世のいかなる作文教本も不十分である。そこに音読のことが書いていなければ不完全である。

作文を書かせるにはまず音読が欠かせない。しかも古典的名文の。日本語のリズムを体得するからこそ、書こうとしなくとも自然な日本語が書ける。これを忘れてはならない。

一方で、カタカムナ音読を行うと、日本語コミュニケーションの能力が飛躍的に増大する。何か知らぬが人が話すことがよく聴き取れるようになり、またこれに対する自分の発語も考えることなく直感的にできるようになる。これはアタマの回転が速くなるとも言えようが、右脳的感受の能力が高まるとも考えられる。いや、右脳と左脳の連結が深まるのか。

教育のコアには、「自信をつける」があると思う。

―自分のままで大丈夫なんだ。自分で全然平気なんだ。自分はやろうとすればできるんだ。自分はOKなのだ。

子どもにこう確信させることは重要である。

これは「アナタはOKよ」と口で言われれば済むことではない。

本人が何かをすることによって自分で確認することでなければならない。

しかしそのようなことは単純である。

カタカムナ音読法を行えば良い。

もし周囲との言語コミュニケーションが確実なものになれば、それだけで人間は自己の存在確認を強くすることができる。

言語がしっかりすること、それは「自信」に繋がる。いや、子どもの自信のコアには言語発達がある。

筆者のところへ来る教育相談には、親子連れで来るのが普通である。

子どもに私の前に座ってもらって、たとえば、

「今日はどうやって来ましたか?」と尋ねると、即座に隣の母親の顔を見るのが普通である。これは普段母親の締め付けが強いことを示しているが、子どもに自信がないことをも示している。

「今日はなんと言われてここに連れて来られましたか?」と尋ねても、即座に母親の顔を見る。これは母親の「顔」というより「表情」を窺っているのである。

これがカタカムナ音読を習ううちに、何か質問をしても母親の方を見る回数が減り、やがて全く見なくなる時が来る。おそらくこの子は、自分の日本語能力が伸長していることを、普段の学校生活などで実感して、我知らず「自信」がついたのである。自分の言語でのやりとりに自信を持ったのである。

「自信」―これから長く生きる子どもの自信。ボクでいいんだ、ワタシでいいんだという自信。存在自体の自己肯定。これがあるから子どもは順調に成長していける。そしてそれは周囲とのやりとりで決定する。そして、そこに通底するのが「言語」である。

周囲より言語発達が速いことが実感される時、そこに自ずと「自信」が生ずる。だが、それが全てと思い上がらずに、そのことを元に次段階を目指して体験や創造や学問をしてもらいたいが、そのどちらにも「言語」が欠かせない。

全ての子どもの言語発達を促進ずる『カタカムナ音読法』は20日過ぎに書店に並ぶが、その前に予約注文をお願いしたい。また、お知り合いに子を持つ親御さんがいたら、ぜひお勧めして欲しい。