このブログの5月25日でも紹介したが、草薙龍瞬著『反応しない練習』がロングベストセラーになっているのはまことに喜ばしいことに思われる。
自分は、読んで「いいな!」と思った本を、それを読むと良いと思われる生徒に渡す(貸す)ことが多いが、リベラルアーツで生徒の一人にこれを与えると、他の者も次に読みたいと言い出し、回し読みすることになったが、その一人は順を待てずに自分で買って読んだ。ところがその本を読んだ母親が、これまた自分用に一冊、おまけに夫用にももう一冊買ったというから、一般の人にとってよっぽど良い仏教解説書になっていることがわかる。
自分は、宗教、つまり特定の神を信仰することなく、自分独自の「哲学」を持とうとする者であるが、今、自分に最も大きな影響を与えた思想は何かとダイアローグすれば、「ブッダの思想」の答えが返る。
しかし、自分は仏教を日本の仏教から学んだのではない。中村元博士訳の岩波文庫で学んだのである。
自分の家は浄土真宗であったが、そもそもヒネくれ者の自分には、「極楽・地獄」という考えにどうも違和感があったし、「ナマンダブと唱えていれば、往生する」という教えは、日本海沿岸雪国地域で苦しんで働く農民には良かったかもしれないが、20世紀の東京で育った自分には単純すぎて受け入れがたかった。
しかし、20代に読み漁った岩波文庫の仏教書からは、ブッダ究極の教えの内容を読み取ることができた。それは、
―執着しない。一切の愛着を絶って、何物をも所有せず所有しようと願わない。人里離れたところに起居し、労働せずに瞑想に打ち込む
というものだった。
もしこれを実行できれば、生きる苦しみから逃れることができることは分かったが、自分には実践不可能であると認識せざるを得なかった。既にユーラシア横断旅行の体験を経て、既成の日本人組織に属さないで生きることを決定していた自分にも無理なことだった。そしてまた、自分の20代はやや「不安」はあっても「幸福」に満ちていた。
ともあれ、するべきことは瞑想だと分かったので、ブッダ当初のやり方を伝えると言われる、ヴィパッサナーの10日間の瞑想コースを体験してその初歩技術を学んだ。そしてそれは自分の人生上最も大きな体験の一つになった。
草薙師は、おそらくは、インド中西部のナーグプルで、カースト制度に苦しむ不可触賎民の仏教改宗活動を実践する佐々井秀嶺師の下でヴィパッサナーを学び、その上でミャンマーやタイの仏教大学に学んでそれを深めたのだろう。
経歴によれば、彼は奈良県の中学校を中退している。これは仏教封建的な価値観の中で行われる教育についていけなくなったからではないか。そして自己の存在理由に深い苦しみを感じ、その後、何をしていたのか上京・「放浪」した後、大検を取ってなんと、東大法学部に入学卒業しているという。東大卒後は政策シンクタンクなどで働いた後、渡印ということであるから、かなり頭が良くなおかつ忍耐強い人であることが想像される。
以下は想像であるが、東京へ出て、やはり学問することが大切と思い、苦学して東大に入学するも、そこで見た人たちの多くには「幻滅」を感ぜざるを得なかったことだろう。でも忍耐強く同時に日本人的に真面目で謙虚な彼は、無事東大を卒業して、世の中にとって良いことと信じて、政策シンクタンクに勤務して、そこで決定的な「幻滅」と「絶望」を味わって精神疲労を引き起こして職を辞し、救いを求めて日本から逃げてインドに渡ってそこで本当の仏教に出逢ったのではないか。とにかく信じられないほど酷い精神体験をしてきた人に違いない。
わかりやすく本当に役に立つ仏教の教えを考えることに役立つこの人の本が売れているのは喜ばしいことである。しかし、そこにあるのは「思想」であり、「哲学」であり、「宗教」ではない。そこにあるのは、「リベラルアーツ」、つまり、「自由になるための技術」に他ならないと思う。
今手元に戻ってきたこの本を返した生徒は、「自分でも買った。同居人も読んだ。これほど人に勧めたくなる本は珍しい」と口にした。