くたばれ!センター試験 | JOKER.松永暢史のブログ

JOKER.松永暢史のブログ

教育相談、執筆・講演依頼は松永暢史公式サイトよりお願いします。

明日明後日とセンター試験が行われるが、大学入試のあり方が混迷複雑化する中で、数年先の廃止が決まっている試験を受ける受験生たちの精神的な労力にはさぞ大きなものがあることだろう。本当に「ご苦労さん」だと思う。
筆者は、かねてより、センター試験は子どもの能力を低下させる亡国的教育施策だと叫んで来たが、これが廃止されるのは決してその主張が通ったためではない。センター試験が廃止されるのは、インターネットの発達によって、有用性の低い知識を大量に吸収させることが無意味になってしまったからである。また、高度成長期に合わせた人材養成システムが、変わりゆく時代に合わなくなってしまったことの一端と見ることもできるだろう。
文科省と財務省が、大概の子どもの能力が低下しても構わないと判断しているのは、公教育の本格的な改革や投資が行なわれる見込みがないことからも明らかであり、これは今だに教育の重点を「幸福な市民の育成」にではなく「従順な労働者の生産」に置いていることの証左でもある。そしてそれには、暗記とレトリック読みの学習を強いればよかったのである。
しかし、インターネットの出現で、情報を規制できない世の中がやって来た。
もはや「記憶」していなくともたちどころに調べられる。
知識吸収のためなら、学校に行く必要もない。
大切なのは、理解力であり、リテラシーであり、判断力であり、実践力である。そしてその基となる能動性である。
ともあれ必要なのは、センター試験のために勉強するような人材ではない。
学者(専門家)の話が聞けて、本が読めて、文章が書けること、そして自分が学ぶべき好奇心の対象を持ち、イキイキしていること。
しかし、そういった教育を学校教育が与えられるようになるには時間がかかる。もしかすると永遠に不能のままなのかもしれない。
すると、家庭が与えるべき教育は、しっかりした読み聞かせから読書へ導き、同時に見聞したことや閃いたことや考えたことを文章化できるようにし、あとは夢中で遊ぶ時間と自然体験の機会を増やして、本人の好奇心に基づくことを学ばせることによって、本人なりの発達を遂げることができるようにすることということになる。
ただし、この方向性が広まると、多くの進学塾、予備校、私立学校、私立大学は、一度経営が困難になる可能性が高いだろう。
そして、公立の学校は、この先よほど大きなシステム変換ができなければ、教育の場としての形態を完全に失ってしまうことだろう。
ともあれ、センター試験の廃止は、これまでの教育政策が無意味化しつつあることの現れであり、それなりにもがき続ける教育行政の「修正」の側面を持つ。
56万人が受験すると言う。受験料は3教科以上で一律18000円である。
バカらしいとしか言いようがない。
何のためにやっているのか。
完全に時間とお金の無駄。
だからこそ、その被害を一身に被る受験生諸君の健闘を祈ろう。
こんな試験に負けるなよ!
今度からは選挙にも行けるぜ。