AKERU-STYLE -16ページ目

「日本はアジアに生きる国_PART8」

当夜、日本に自宅には電話を入れておいた。
「無事到着したが、このままだと宿泊費が

足りなくなる」
と伝えたら、

「翌朝から安宿を探すしかないな。何とかなる。

がんばれ。」
と言われた。


自分が野宿する光景すら浮かべたが、
疲れていたので、寝入った.....。


翌朝、部屋の電話が鳴った。

「江藤ですけど...板庇くん?」
と、シンガポール在住の父の友人からだった。

「ホテルが予算を上回っているみたいね。
チャイニーズYMCAに行ってみなさい。

あそこは安いから。」
と言われた。


さすがの父も心配になって、手を回して

くれたのだった。


早速タクシーで向かった。
1泊2,500円だった。

早速、チェックインして、5泊分を前金で払った。

手元に2万5千円ほど残った。

「これで、助かった!
早速、留学の交渉に文部省へ向かおう!」


<続く>

「日本はアジアに生きる国_PART7」

不安な気持ちで一杯だったが、タクシーにだまされず、
ホテルには無事に着いた。


チェックイン時に、もしかして安くならないかと、
本当に 1泊 1万2千円 かと英単語を並べて

尋ねたが、
「そうだ。空港で言われ料金だ」と、断言された。


とにかく、部屋に入った。
そのとたん、ベルがなった。

覗いてみると、20歳くらいの男がニコニコして

立っていた。
「あやしいそうな男ではないな....」と判断して、
ドアを開けた。


「ユー ニー ガールフレンド?」と、繰り返す。

「あっそうか。彼はホテルの従業員で、親しげに

話しかけてきているんだ。

ぼくにガールフレンドがいるかどうか聞いて

いるんだ」と思ったので、
「ガールフレンド イン ジャパン!!」と


威勢よく答えると、

「ノー. ヒア イン シンガポール! 」
と言うので、
「ノー. マイ ガールフレンド イズ

 イン ジャパン!!」


このやり取りを繰り返した。

その後、彼はあきらめたような顔をして、
「グッ ナイ」と言って、部屋を出て行った。


彼は一体「誰」だったのか?
今のぼくにはもちろん分かるが、
13歳のぼくには想像もつかなかったのだった....。


<続く>

「日本はアジアに生きる国_PART6」

シンガポールの空港に到着した。


京都からの大阪空港までの交通費や食費など

がかかり、所持金は5万円になっていた。


「今日から6泊7日で5万円。
一泊平均は絶対、絶対、5千円以内でないと、

お金が尽きて、帰国できない....。」


入国手続きを終えて、「ホテル予約」の

カウンターへ直行した。

「一番安いホテル!」と、英会話の本を見ながら、
叫んだ。「OK!」と言って、案内されたのは、
1泊 1万2千円だった。


そこから、辞書と筆談を駆使して、
「本当の」最安値を案内するよう訴えたが、
「空港のホテル予約のカウンター」では、
最安値のホテルは、「本当に」1万2千円だった。


もう夜中だったこともあり、そのホテルを「一泊だけ」

予約してもらい、タクシーで向かった。


ここで、翌朝の所持金は、3万5千円ほどしか

残らないことがはっきりした。


「もう留学する学校とアパート探しどころでは

なくなってきたなあ.....。
13年間の人生、最大の試練が今来たなあ........。」
と、車内でつぶやいたことを覚えている。


<続く>

「日本はアジアに生きる国_PART5」

「シンガポールに留学する学校とアパートは、
自分で見つけてきなさい。」と言って、
航空チケット会社の電話番号を渡された。


問い合わせしたら、
最安値が9万円(シンガポール航空)/1週間

FIXチケットだということが判明した。


その後、自宅から自宅に戻ってくるまでの
総予算15万円を父からオファーされた。


「差し引き6万円で一週間滞在できるかなあ....」
と少しは不安になったが、
屋台で食べれば一食300円くらいで済むことは

知っていたので、楽観的に承諾した。


13歳で、一人で、ホテル予約なしに、
知り合いがいない、日本語が通じない、

外国に1週間行くことが決まった。

もちろん、生まれて初めての冒険だった。



「日本はアジアに生きる国_PART4」

シンガポールには一度家族旅行で行ったことがあり、
大好きな場所ではあった。


しかし、留学するとなると、あれこれ考えないといけない。

母親は、
「まだ中学2年生で義務教育期間中なので、
高校生になってから留学したら、どうか」
と言った。


父親は、
「義務教育中かどうかと家庭教育の方針は別問題。
鉄は熱いうちに打て。
あけるが社会に出るころには、世界経済の中心は

アジアになっている。日本にこのまま留まっていたら、
将来、アジア人としてアジアで活躍できないタイプに

なってしまう。すぐに、留学しよう!」

この一言で、決まった。


「13歳にもなれば、昔であれば元服(男子の成人

のこと)の年齢だ。
留学する学校とアパートは、自分で見つけてきなさい。」

と言って、航空チケット会社の電話番号を渡された。



「日本はアジアに生きる国_PART3」

中学2年生のころ、
ラオさんから中国語を週2回の頻度で

学び始めた。

日常会話の読み、書きには数ヶ月で何とか

慣れてきたが、話すのはたいへんだった。

発音がたいへん難しく、一つの単語を何十回と

発音しても、ラオさんからOKをもらえなかった。


発音練習でふらふらになってきたこともあって、
気晴らしに英語も同時に学びましょうという

ことになった。


英語は、中国語と比較したら、文字は26文字

しかないし、発音は格段に楽だった。


勉強の合間に、ラオさんは東南アジアの人々は

日本や日本人をどうみているかという話を
よく語ってくれた(1981年時点)。

日本は超大国で、日本人は勤勉で、憧れの

対象だった。
「日本に学び、追いつくのが我々の夢だ」と、
眼をキラキラさせて語ってくれた。


ある日、
「ぼくと二人で、中国語と英語をいくら一所懸命に

学んでいても、おのずと限界がある。
あけるくんは、まだ若い。留学したらどうか?


君と同じ中学生が英語と中国語を自由に操る国は、

世界にシンガポールと香港しかない。


ただし、香港は標準語の北京語ではなく、方言の

広東語を話すし、第一治安がよくない。

ぼくの母国のシンガポールに留学したらどうか?」


早速、この話を自宅に持ち帰った。


<続く>

「 日本はアジアに生きる国_PART2」

前号では、京大の留学生会館に、
中国語の先生を探しに飛び込み訪問した、
ところまで記した。


何人かの留学生に尋ねてみたところ、
シンガポール人留学生の
ラオ(Lau/老)さんを紹介してもらった。


彼は、中学生のぼくの依頼に快く応えてくれた。

「英語でなく、中国語から始めるとは

進歩的な考え方ですね。
では、中国語の標準語(北京語)を一緒に

学びましょう。

ただし、中国語の文法は日本語とは異なり
英語と同じなので、できるだけ日本語を

通さずに、英語を通して学んでいきましょう。」


ラオさんは6言語
(英語、北京語、マレー語、福建語、

タミール語、日本語)に通じた奇才だった。


<続く>



「 日本はアジアに生きる国_PART1」

先日、友人から「中学生の子どもに英語以外の

外国語を習得させたいが
将来役に立つ言語は何だろうか?」と質問された。


間髪いれず、「中国語(北京語)」と返答した。


直後、自分が中学2年生のころ(1981年)を思いだした。


ある日、突然、父親が、「お前が大人になるころ

には、中国が世界一の大国になっているだろう。

中国語をすぐに始めなさい。そのころには、
日本人は英語なんかペラペラになっているから、
希少価値にならない。すぐに探せ!」

と言い放った。


その後、母親が、「京大(京都大学のこと。近所

だった)の留学生会館を訪ねなさい。

中国語ができる留学生が必ずいるから

頼んで教えてもらいなさい。」


翌日、ぼくは留学生会館に飛び込み訪問した。


<続く>



「新しい道」

先週は、友人や後輩と、天職、転職、起業などに

ついて話をする機会が期せずしてあった。


天職とは、自分が信念を持って天職だと思う

職業のこと、起業とは、自分の頭の中に

あるアイディアを全責任を負って世に問うてみること、

などなど、さまざまな解釈が出てきた。


転職に関して、ある後輩は自分自身のこととして

考え始めている風だった。

少し考え込んでいるように見えたので、ぼくなりに

アドバイスをした。

マイナス成長、デフレが続く日本国内だけで

ビジネスをしている企業ではなく、
プラス成長しているアジア企業の日本支社
やアジアの成長企業と取引をしている

日本企業への転職も視野に入れたらどうか、
などと話した。


その後、その後輩からメールをもらった。


>仕事に対しての新しい見方ができそうな感じが

しました。


それは、よかった!

>【中略】 新しい道を探すのも楽しいことに

思えてなりません。


この姿勢には、脱帽した。
新しい道を探すことを楽しいと思える人には、
新しい道が必ず見つかるからだ。


「自ら変化せよ」

先週、ある経営者と話していた。

ユニクロの柳井さんの著書 『成功は一日で

捨て去れ』を最近読んだという。


その読書感想話になって、「買っていただいた後に

売れた要素を分析するのは簡単だが、
買っていただく前(商品企画段階)に、売れていく

要素を予測するのは不可能だ」

という部分にその経営者は強く共感し、
リスクを負って発売する勇気がいかに必要かを
ぼくに説いた。


どんな人にも、その人にとっての成功体験が

必ずある。

その成功体験を否定してでも、新しいチャレンジに

向かうことが必要になるときがある。

そのとき、新しいチャレンジを成功にもっていった

経験者の話が、励ましになり、勇気につながる

ことを痛感した。