「社会起業家の活動」
日本にも社会起業家を志す人々が
増えてきた。
私自身、社会起業家活動を本業と
している人たちと、さまざまな接点が
ある。
社会起業家は、
☆起業家精神が旺盛で、
仕事についての目的意識がはっきりしている。
☆(大手)企業が新規参入に二の足を踏む、
行政が緊縮財政などの理由で提供しずらく
なっている商品・サービスを提供している。
☆たとえユーザーが少数に見えても、
ユーザーが助かる、求めている、かゆい
ところに手が届く商品・サービスを
提供している。
などの特徴がある。
「社会起業家」は、欧米の先進国に
おいては社会にとって欠かすことのできない
存在となっている。
村上 龍氏は、
「生活費と充実感を保証する仕事を持ち、
且つ、信頼できる小さな共同体を持って
いる状態が、今の日本の職業人の幸せで
ある。」
と定義した。
「社会起業家」のさらなる増加は、
日本がよりよい国へとかたちを変えていく
希望の苗床となる。
「知能指数(IQ)の概念を超えて」
日本では、
知能とは知能指数(IQ)のことだと
されることが今でも多い。
また、日本の教育産業が小・中・高
・大学生向けに提供する
サービスの大半は、
1)知能指数(IQ)が高くなる、
2)学校の成績(国語、算数、理科、
社会などの点数)が上がる、
3)入学試験に合格する、
4)検定合格や資格取得、
の4つに集約される。
米国のガードナーの多重知能理論が
ある。
従来の精神測定学の知能指数(IQ)の
概念を超えて、人間の知能の多様性を
とらえた理論である。
この場合の知能の定義は、
「社会において価値のある問題を解決
したり、価値ある成果を創造したりする
潜在能力」とされる。
次のような8つの独立した知能が提示
されている。
1) 言語的知能
2) 論理数学的知能
3) 音楽的知能
4) 身体運動的知能
5) 空間的知能
6) 対人的知能
7) 内省的知能
8) 博物的知能
これら個人によって異なる向いている
分野の潜在能力を引き出すことの重要性は
測り知れない。
これらの潜在している能力を引き出す仕事が
できるとしたら、
その仕事の社会的価値にも測り知れないもの
がある。
この仕事への自分のコミットメントとしては、
「小・中学生向けにキャリア学習を提供すること」
だと信じて続けている。
「アジアの20代」
先輩と久しぶりに会い、話を聞いた。
彼は日常的に大学生や20代と
接している40代後半の男性だ。
「25年前の20代と比べて、今の20代歳
は精神性が高いように思われる。
モノ(カネ)よりもコミュニケーションや
精神的価値を重視しているように見える。
今の20代歳は当時の20代よりカネを
持っていないし、生活は質素だ。
物価自体も当時と同じくらいか
低いかもしれない。」
「経済が急降下していた、
1960年代や70年代の欧州や米国の若者と
共通点があるかもしれない。」
彼らが刺激を受ける環境、
つまり、
25年前の20代と出会う環境があれば良い
と感じた。
将来への希望に満ちている20代は
アジアの新興国にいる。
彼らと接する環境に身を置けば、
相乗効果が生まれる気がしてならなかった。
「先輩との議論②」
先輩と久しぶりに会い、議論した。
日本の深刻なデフレ不況の根本
原因は、「高齢の方々の消費不足に
ある」という。
日本の個人預金の半分以上が
70歳以上の方々によって保有
されている。
現代の日本社会では、
「社会とのつながりが不足している
高齢の方々」が多い。
現代の日本社会では、20代、30代の
失業者が増え続けている。
彼らはITスキルは高く、おとなしい
タイプが多い。
以上のヒントから
社会問題を解決する仕組みを構築
できないか。
宿題をもらった。
「先輩との議論 」
先輩と久しぶりに会い、議論した。
「公共政策の視点から言うと、
日本で起こっている問題はすでに経済学の
域を超えている。
社会学、政治学の知見が問題解決に必要だ。」
「日本の高齢者の孤独死は年間3万2千人
(1日当たり約100名)を超えている。
20代、30代の自殺数が増え続けている。
この2つの事象の解決策を出さないと
自分が殺されるというくらい真剣に、真剣に
考える過程で、その他のさまざまな国内問題を
解決する方策は自然と導き出されてくる」
と言われた。
「質問なのですが、それらの問題の原因は
何でしょう?」
「20年前に始まったグローバリゼーション、
つまり、世界のアメリカ化が原因だ。」と
即答なさった。
日本のこれまでの歴史を考察するとき、
上記の2つの事象の発生数はいずれは
減り始めると、ぼくは信じる。
もしそうだとしても、できるだけ早く減少傾向に
持っていくことに関して自分が何ができるかを、
次回は先輩に尋ねようと今決めた。
「善悪二元論の利用を憂う・・参議院選挙の2ヶ月前に・・ 」
2005年の9.11衆院総選挙では、郵政民営化に
賛成か反対かが唯一の争点のように打ち出され、
メディアはそう報道した。
その4年後、2009年の8月の衆院総選挙では、
「政権交代するか否か」が争点化された。
二つのものを意図的に対立させて、どちらを
選択するかを迫る手法は、支配者が民衆を
操作する手法の代表格で、大昔から世界の
至る所で為政者が利用してきた。
この手法を私は二元論の民衆操作利用と
呼びたい。
例えると、すべての方角を左右や上下で表現
してしまうのが二元論だ。
でも実際には、東西南北や右斜め下など、
方角にはバリエーションがある。
「自由と平等」の獲得を標榜してフランス革命
はなされた。
その後、フランス革命の象徴である自由の
女神の像は今も米国にある。
しかし、自由と平等は元々相反する概念だと、
ぼくは思う。
自由を優先すると、平等性は低くなる。
平等を優先すると、自由意思を阻害する。
主観と客観、唯物と唯心、戦争と平和、正論と偏見、
なども二元論でよく為政者に利用されてきた。
どちかか一方が善で、もう一方が悪と言い切れ
ないのが、不完全な人間が形成する実社会だ。
二者択一の提示という古典的二元論の手法が、
次の国政選挙でも利用されるのであろうか。
国民が、物質面だけではなく、個人としての
各々の「人生(生活)の質」を最重要視して
毎日を送る、成熟した国に早くなって欲しい。
「知識を筆記してはならない」
「感性のとき」を、読み返していた。
20年前のものだが、今でも先進的ですらある
内容だ。
その理由は、著者の萩野先生が無類のビジョナリー
だったからなのか、
日本がこの20年間(他の先進国と比して)後進的だった
からなのか。
□以下に一部を引用する。
◇「知識を売り物にする知識人が歴史の決定、
流れの中で、果たして本当に決定的役割を
演じてきたのであろうか。
「ペンは剣より強し」とは、歴史的に誤りである。」
◇「知識(ノレッジ)をいくら集めても知識は知識に
過ぎず、質(クオリティ)への変化はなく、
知恵にならない。
◇「量はいくら加えても、量的価値しか生まない。
決して質的変化は起こらない。」
◇「いかに正確な情報としての知識といえども、
知識は知識であり、量の大小である。
そこの付随する価値は、せめて、能率的
価値である。
大きいことはよいことだとする反省として今、
考えてみるべきである。」
◇「地方の活性化と言われるが、地方のための
地方活性化とは何かを失っている。
地方は地方の特質なり、その風土をベース
にした他にない価値を持っている。
単なる量、能率を価値尺度として、怪しい
情報にふりまわされ、目先的政策を行う
自治体を見るのは残念でならない。
特色のある自治、自治こそが生きる道である。
まさにサバイバルである。」
◇「この量と能率に、あまりに日本人は固執しすぎた
のではなかろうか。
この歪みが社会病理を生んでいる。
そして現代日本社会が垂れ流すインビザブル・
ポルーション(見えない公害)は、その社会の最も
弱きものに回されるのである。
子供のいじめを私は、「大人社会の縮図」と定義した。
われわれはここで何らかの転換をはからなければ
ならない瀬戸際に立たされている。
量的価値、能率的価値の限界を知るとき、初めて
新たな発想が浮かぶだろう。」
◇「今こそ日本人はこれまでの量的価値、能率的価値
から思い切って発想を転換すべきと思う。」
萩野先生の授業の筆記試験では、「知識を筆記しては
ならない」という条件がついていた。
「起業家の本質」
先週は出張先で、「起業家の本質」
http://www.creage.ne.jp/app/BookDetail?isbn=4901234927
の熱烈なファンに偶然出会った。
彼が心打たれたと伝えてくれた箇所を、
少し長くなるが、以下に引用する。
「起業家だけが知る恐怖」「起業家に
つきまとう恐怖(テラー)とは己に
課されるものなのです。
その恐怖は、起業家でなかったなら
ごく普通の人であったあなたが意思決定を
するときに襲ってきます。
【中略】
この世界では安眠はありえず、悪夢に
さいなまれ続けます。
この恐怖には独特の味、独得の臭い、
はらわたが捻れるような独得の痛みが
あります。
そして、起業家である限り、この恐怖は
消え去らないのです。」
「何がこの恐怖を引き起こすのか、そもそも
何がこのモンスターに生命を吹き込むのか、
私はたびたび考えてみました。
金銭欲ではありません。
成功した起業家なら誰でも言うように、
お金は成功から生まれる副産物に過ぎず、
損失とはリスクのひとつに過ぎません。
失敗への恐れから来るのでしょうか。
しかし、この説明も起業家の恐怖を
感じたことのある者にとっては、とても妥当
とは思えないでしょう。」
「恐怖について考えれば考えるほど、
恐怖とはそもそも会社設立へと私たちを
導いたものと同じもの
ー何か根源的、半ば無意識な欲求、
つまり、この世界に自分の印を記したい、
自分の足跡を時の砂の上に残したい、
という欲求から来ているとわかってきます。
思うに、私たちが本当に恐れるのは、
私たちが単なる大衆の一員となり、人々から
忘れ去られることなのではないでしょうか。」
気が付くと、ぼくが熱烈なファンである彼の
ファンになっていた。
「アントレプレナーシップ」
「アントレプレナーシップ」について話す
機会があった。
英日辞書では「起業家、企業家」と
訳されている言葉だ。
アントレプレナーを英語表記すると「entrepreneur」で、
分解すると「entre」は「enter」と同義なので
「入る、参加する」、「preneur」は「take」と
同義なので「取る、獲得する」となる。
したがって、アントレプレナーは
「自ら入って行って獲得する人」という意味
になる。
「自ら機会を見出し、その機会を捉え、
その機会を活かす」という強い意志が
アントレプレナーを支える。
「教育理念がない国、日本 」
自分が13歳の頃、
シンガポールへ留学先を探しに出かけた話を
昨年12月~2月まで連載した。
産業界と教育界がリンクして世界最高水準の
人材を育成し輩出している国家である
シンガポールの教育省と人材育成省の
ミッションステイトメント(板庇翻訳)
と日本の教育基本法(昭和22年制定)の
(教育の目的)と(教育の方針)を以下に紹介したい。
《シンガポール教育省のミッション ステイトメント》
将来国家の命運を決める国民を形成することを
通して、将来の国家を形成することが
教育省の使命である。
教育省は子どもたちにバランスの取れた
総合的な教育を施す。
子どもたちの潜在能力を最大限引き出し、
よき市民になるよう教育し、自分の属する
家庭、地域社会、国家への責任感を育む。
《シンガポール人材育成(マンパワー)省の
ミッション ステイトメント》
国際的に競争力ある労働力を実現し、
高次元の好ましい職場環境を助長し、
雇用者と被雇用者のパートナーシップを
実現し、シンガポール国民の幸福のため
持続的経済発展を達成する。
《日本国 教育基本法》
(教育の目的)第1条
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家
及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、
個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、
自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の
育成を期して行われなければならない。
≪教育の方針 第2条≫
教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所に
おいて実現されなければならない。
この目的を達成するためには、学問の自由を
尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、
自他の敬愛と協力によって、文化の創造と
発展に貢献するように努めなければならない。
世界の歴史流れの中で、その時々の「時代」が
教育理念を形成してきた。
日本の文部科学省は教育理念を、厚生労働省や
経済産業省は人材育成理念をまず再構築しない
といけない。
そうしないと、日本が教育大国で質が高い
労働者が集まる国ではないと
アジアの他の先進国に認識されたときには、
資源がない日本の末路は取り返しつかない
ことになってしまう。