「日本の新しい扉 」
20代で起業したばかりの方.
アジアへの工作機械の輸出で
過去最高の業績を上げている企業の方.
小学校の校長を退任して現在は大学教員と
教育委員のを兼務しながら
地域の自立心育成に傾注している方.
産業界と教育界の協業の橋渡し(通訳)を
通じて、
地域振興を目論んでいる方。
みなさんに共通しているのは、
量より質、組織よりエンドユーザーを重視し、
何よりもご自分の仕事(役割)に対して
ビジョナリーなことだった。
日本の新しい扉を開く気概が感じられ、
至福であった。
「運が強いということ」
松下幸之助氏は晩年、
「自分は運が強いと思っている人」を優先して
採用したという話。
20年ほど前に耳にした話を、ふと、思い出した。
個人的にも、
「自分は運が強い」と信じて成功した創業経営者と
接する機会がこれまで多くあった。
「自分は運が強い」と本気で信じている創業者は
(そう信じているので)、
あきらめずに努力を継続させる傾向が強い。
その後、いつか成功して、
「やはり、自分は運が強かった」と感想を漏らす。
やはり、
松下幸之助氏の採用方針は正しいと確信した。
「坂本龍馬の手紙」
☆前号にも反響をいただき、ありがとうございました!
最も印象的だったご感想を以下に載せます。
◇【商社勤務の友人より】
政界、官界が人材不足なのは誰の眼にも
明らかですよね。
出来もしないことを何の裏づけもないまま、
根拠なく「出来ます」「出来ます」と公言し、
実際に出来なかった時は放り出す、このような
社会人失格の人物が名家の出身という
だけで総理になっていたのだから、いやはや、
あきれてものが言えません。
財界人のほうがまだ随分ましなのは、結局
若い頃から仕事に鍛えられ、上司に鍛えられ、
同僚・部下に鍛えられ、
お客さんに鍛えられるからでしょう。
大風呂敷を広げる人間、不誠実な人間、傲慢な
人間、思慮分別を欠いた人間は、長い競争の
中でおのずと淘汰されるメカニズムが
働いているのです。
日本人が「公」の精神を忘れ、私利私欲のみが
強調される社会になったことは又く嘆かわしい事です。
このままでは本当に数十年後亡んでしまうのでは
ないかと危惧する次第です。
このご感想に大いに触発されて、
昔読んだことがある手紙を思い出した。
「じつにお国のような所にて、何の志も無き所に、ぐずぐずして日を送るは、実に大
馬鹿者なり」
≪慶應元年(1965年) 坂本龍馬の姉乙女への手紙より ≫
「公に献身する志は十分だが、
公職に就くこと自体に興味が全く無く、利害関係も全く無い」
こういう人物が坂本龍馬のような働きを、
実際に成し得るのだろう。
「次世代に何を遺すことができるか」
☆前号「兵役の有無」へは多くの反響をいただき、
ありがとうございました!
その中から、
海外在住の日本人の感想を以下に載せます。
◇【アジア在住の友人より】
僕もそう思います。
兵役が無いので、男が公を考えない
それが、子供に伝わり国が滅ぶという構図です。
でも、日本人は優秀なので2世代後には
また立ちあがると
期待していますが、30年間は混迷するでしょう。
◇【アフリカ在住の友人より】
兵役という生死を感じる最前線に立つことは危機を
感じる機会ではあるものの、現実社会ではそれらを
強いることは厳しい。
しかし、兵役は国を守るために命を懸けるということを
真剣に考えるきっかけとなり、ひいては国家のなすべき
課題への取り組みを考えるきっかけにも繋がると
考えます。
さて、
ここからは、戦前を知る大先輩の話の続きです。
「現在の日本人は安楽、平等、健康を熱心に求める。
恐れていることは、自分の病気と経済(生計)の
破綻の2つ。
人と競争して抜きん出ること、英雄(的存在)になること、
自己を献身する行為を好まないし、賞賛もしない。
ましてや、強い哲学や信仰がない中で、国を率いる
リーダーたちが育つ環境がない。
戦前の世代は、戦後、粉骨砕身がんばって、日本の
発展のきっかけを作った。
今の日本人は次世代に何を遺すことができるのだろうか。」
「兵役の有無」
先週、大先輩と久しぶりに話をする機会があった。
話は戦前に及んだ。
「戦前の男子は戦場で亡くなる可能性を、
程度の差はあるにしろ、誰でも意識していた。
現代の日本人の想像力が及ぶ範囲は病死や
事故死、老衰くらいだろう。
死はいずれにしろ痛ましいし、戦争やテロは
起きない方が良いに決まっているが、
国のトップクラスのエリートが戦争を知らない、
意識すらしない国は滅びる運命にあるのではないかと、
最近は危機感をもつようになってきた。」
「諸外国の経済分野、政治分野のトップエリートには
生死をさまよう軍隊体験を経ている人々が現在も多い。
たぶん、意図的にそうし続けているのだろう。
一方、日本にはごく、ごくわずかしかいない。」
以上のような話に及んだ。
たとえば、
筆者の知る韓国、台湾、シンガポールの男性は、
兵役(国民の義務)を経ている。
兵役でも実戦を想定した訓練では、生死をさまよう
緊張感があるし、実際に亡くなるケースもあると
聞いたことがある。
最後に身近な例で恐縮だが、
日本人のビジネスマン(男性)が、
アジアにおいて1対1の交渉に弱いのはアジアでは
昔から有名だ。
その一因は兵役の有無にもあるような気がしてきた。
「ダライ・ラマ法王の来日」
先々週、友人と久しぶりに会った。
友人がダライ・ラマ法王の来日に合わせた
集会(6月27日 総持寺・曹洞宗の大本山にて)
が話題になった
「世界で神が存在しない宗教は仏教と
ジャイナ教だけ」という、
ダライ・ラマ法王の話が最も印象的だっった。
話の途中で、ぼくが高校1年~2年のときに
交換留学で1年間ホームステイ体験した
スリランカ(仏教国)での生活を想起
せざるを得なかった。
ぼくは当時、家庭内ではキリスト教徒の
家族に囲まれ、一歩家を出れば仏教徒に
囲まれる毎日を過ごしていたからだ。
大半の宗教信者が信じ切っている
「神の存在」という概念なしで、2,500年間も
続いているのが仏教。
「神の存在」はなくとも、輪廻や縁起の概念が
仏教信者の信仰心を補強し続ける力を
持ってきたのであろうか。
信仰心が全くない人々を除けば、
信仰があるあらゆる人々の共通点は
一定の絶対法則の実在を信じているという
点にある。
その実在は目に見えないだけではなく、
人間の五感では感じえない実在である
かもしれない,と信じている点も共通している。
ダライ・ラマ法王は、
「どんな宗教かは別として、
人間はやはり信仰を持った方がよい」
と語っていたそうだ。
「子ども向け家庭内教育 Ⅲ」
さて、今回は最後にお伝えしたいことを
記します。
親は自分の子どもを無条件に愛することが
できます。
しかし家庭を一歩出れば、世の中は条件付き
でしか子どもを愛してくれません。
世の中は四方八方が条件付きです。
大人が仕事をしている職場はその典型です。
その実社会とは親の経験からどのようなもの
なのか、学校社会とはどう違うのか、
人生における仕事時間は学生時間よりも
ずっと長い(30年以上に至る)ことなどを
子どもに(早期に)伝え始めていただきたいです。
学校(バーチャル)を卒業したら、
条件付きの実社会(リアル)が
必ず待ち受けているのですから。
「子ども向け家庭内教育 Ⅱ」
小・中学生の自分の子どもに仕事上起きた
事柄をそのまま話することには、
親にある種の抵抗があることは十分
承知しているつもりです。
しかし、それらの話が自分の子どもの
将来にとってプラスになるだろうことも、
同時に容易に想像しうることでしょう。
その生々しい仕事上の話が、
子ども自身の将来を切り開いていく、
エッセンスになっていくと信じて疑いません。
☆前回には、
子どもが将来「いい仕事」ができるように
なるための(開発)能力として、10項目も
提示しました。
これらは、学校教育でも、学習塾やスポーツ
クラブ等のいわゆる習い事の範疇においても
子ども自身が発露しうる能力ではあります。
ただし、指導者が親ではなく他人であること、
社会人の仕事を疑似体験できる機会が
ほとんど提供されていない点で、
家庭内教育とは異なります。
家庭内教育は、家庭以外ではできない教育が
できる重要な教育現場なのです。
「子ども向け家庭内教育」
「家庭内教育で、将来いい仕事ができる
ようになるための教育内容とは?」という
主旨のご質問をいくつかいただきました。
まず、すぐにできることは、
(実社会で仕事をしている)親が小・中学生の
子どもに仕事上起きた事柄をそのまま
話してあげることです。
子ども向けキャリア教育プログラムでは、
将来「いい仕事」ができるようになるための
(開発)能力として、以下の10項目を
定めています。
1)計画力、2)評価能力、3)意思疎通能力、
4)交渉力、5)決断力、6)問題解決能力、
7)創造力、8)率先力、9)協調力、
10)委任能力
の10項目です。
以上の10項目の能力は、
親が実社会で仕事をする過程で発露
している(もしくは、せざるを得ない)能力と
大部分は合致するはずなのです。
「日本社会の質的変化」
最近は、「子どもが大人の仕事を学習・疑似体験
するキャリアプログラム」
“ビズ・キッズ”に関するお問い合わせが
多くなってきた。
この現象には、
(無意識的にしろ)将来のしごと対策の低年齢化
という側面もあるとも感じている。
<「いい学校」、「いい会社」に入るための
勉強はもう終わり。
将来、「いい仕事」ができるための勉強を
今しよう!>
という弊社の10年来のキャッチフレーズに
対して、10年前には「きれいごと言うなよ!」と
指摘する大人がいたが、
最近は「もうそんなの当たり前のことだから
キャッチフレーズにならないよ!」
という助言を得ることが多くなっている。
日本社会は、今から5年後の2015年には
この5年間よりも劇的な変化を経て、
多くの大人が「人生(生活)の質」に最大の
関心を寄せる社会になっているだろうか。