ども アラフィフ女子の美と心のブロックを解除する
京都のマインドブロックバスター 永井和美(ずうずう)デス。
父のことをじっくり考えるお正月になりました。
いままで考えないようにしていたから。
いつ、母が父を見限って、やることなすことが気に入らなくなったのか。
父母が離婚するずっとずっと前からだったと思います。
昨日のカレーの残りとご飯を混ぜて、生卵を落としてウスターソースをかける。
父がしていたこの食べ方が私も弟も大好きでした。
母は、いつも顔をしかめて
「汚らしい食べ方しないで!」
と怒っていました。
お味噌汁に天かすをちょっと入れてコクを出したり。
野菜と残ったおかずをラードで炒め合わせたり。
母の料理にちょっと手を加えると父のオリジナルになる。
私も弟も父の料理が大好きでした。
母は自分の料理に手を加えられることが好きではありませんでした。
せっかく作ったのに。。。自分が否定されるような気がしていたのかもしれません。
大人になって、自由軒のカレーを見たときに父がしていたカレーを懐かしく思いました。
父は、美味しい食べ方を知っていて、母に何を言われてもニコニコと貫いていました。
それも母にとっては、いまいましいことだったと思います。
私は明らかに父サイドの人間でした。
だらしがなくて、子供っぽくて、自由で、飽きやすくて、怠け者でした。
面白いこと、楽しいことが大好きで、先のことなど考えずに今を楽しんでいました。
父と私は同じ。
それは、母にとってとても怖いことだったのだと思います。
きちんと真面目に仕事して、頑張りに見合った収入で、貯金して、将来に備える。そのためには今は、頑張るしかない。嫌なことでもやらなければならない。
それが正しいのだと思い込んでいました。
だから、母と一緒に父を糾弾する側に回りました。
父の仕事嫌いとギャンブルで家もお店も人手に渡ってしまって、両親は離婚しました。母が
「私が生きている間は、お父さんを助けないで頂戴」
と言ったことをはっきりと覚えています。そのときの母の服、口調、どこで、いつ言ったのか、全部覚えているのに、母は忘れたみたいです。
晩年の父に会いに行かなかったことを、今日、初めて後悔しました。
父が亡くなった時は、借りていた部屋のこと、借金、病院や滞っていた支払いの処理、相続放棄など手続きが煩雑で、弟と私は最後まで迷惑をかける父親に怒りしかなく。
黙々と手続きをこなしていました。
涙はなく、弟と何度も
「仕方ないね~」
と笑い合ったのを覚えてます。
今日、お昼ごはんに、
昨日のカレーの残りとご飯を混ぜて、生卵を落としてウスターソースをかけたときに、
びっくりするほど涙が出てきました。
声を上げて泣きました。
父のことが大好きで、大好きで、たまらなかったことを思い出して。
父と同じだと不安、それが私のブロックだと思って解除し続けました。
効果は全然ありませんでした。
それはブロックではありませんでしたから。
父と同じだと母を裏切ることになる
そのブロック解除をすることがようやくできました。
お父さん、ありがとう。そして、ごめんなさい。
マインドブロックバスターによるブロック解除とは、
① 掘り下げをせずに、
② 片手に軽く触れるだけで、
③ 潜在意識にある、あなたの悩みや問題を引き起こすブロックのイメージを読み取り、解除のイメージに入れ替えていく
セラピーなんデス
★京都のアラフィフ★