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ついに、、、またもや、、、正体がばれる時が来てしまいました。特撮もの、好きですねえ・・・
私の世代の場合、ウルトラものというとどうしても、リアルタイムである「Q」「マン」「セブン」時代が中心となり記憶に残っています。(お若い方たち略語ですいません。順にウルトラQ,ウルトラマン、ウルトラセブンという事でございます。)
その中でも特に「ウルトラセブン」・・・ウルトラ史上まれにみるハードな世界設定。
地球は常に宇宙からの未知の侵略者達に狙われる危機を抱えている。世界規模で整備されている組織、地球防衛軍(TDF)が存在し、横文字が頻繁に使用された基地内の掲示や英語で行われるアナウンス、シャープな形状の武器や原色を避けた落ち着いたトーンの戦闘機など。暗く、そして重たい。
画面も全体的に暗さを強調したシーンが多かった。
子供心にもウルトラセブンの世界には非常に「ダーク」で「クール」なものを感じました。しかし、リアルタイムで見ていた頃は、結局「最後にはヒーローが宇宙人をやっつける」という単純な図式しか頭に入っていなかったというとこれが間違いで、セブンの場合は「本当に宇宙人が悪いのか?」「人間は地球の本当の支配者なのか?」と言った昨今のSF映画でもテーマに取り上げるような内容の話が散見しており、たとえガキであっても手放しで人間側が勝利する事を喜べない雰囲気があった事を思い出します。
大人になって再び「ウルトラセブン」なる番組を振り返って考えるにつけ、又、脚本家たちのことを考えるとそこに込められていた制作者サイドの主義・主張をある程度想像する事ができ、そこから色々と想像を巡らす事も可能です。以下、雑感を。
「史上最大の侵略」・・・名作の誉れ高い前編・後編で構成された最終回です。モロボシ・ダンの最後のウルトラセブンへの変身の場面。
変身せざるをえなくなったダンは自分の正体を同僚のアンヌ隊員にあかす。「びっくりしただろう。」
ダンの正体を知った後でも「人間であろうと宇宙人であろうと、ダンはダンに変わりないじゃないの。例えウルトラセブンでも。」というアンヌ隊員の告白。
しかし、アマギ隊員がピンチなんだよ!と、それを振り切るようにダンから告げられるアンヌ隊員への決別のセリフ。ここには「さよなら」とか「君を大切に思って・・・」などという陳腐なセリフは一切存在しません。
アマギ隊員はゴース星人に人質としてとらえられ窮地に陥っている。しかし、ゴース星人の侵略基地を特定したウルトラ警備隊はアマギ隊員がそこにいる事を知りながらも基地めがけて地底ミサイルの発射を決定せざるを得ず準備に入る。ミサイル発射時間は迫る・・・・・
その一部始終を知っているダン。今、アマギ隊員を助けられるのは自分しかいない。そのために地球を去る事になるとしても。ダンにとって真に大切なものが何なのかが示されるシーンです。
そもそも「モロボシ・ダン」なる人間は元々この世に存在していません。セブンは太陽系の恒点観測のため地球にやって来た時、薩摩次郎という地球人の自己犠牲的な行動に心動かされ彼の姿形を真似た(このあたりの経緯は第17話でようやく語られる)訳で、つまりモロボシ・ダンなる個性も存在していなかった事になります。
突き詰めて言えばダンの個性は100%セブンのそれです。この点が初代ウルトラマンのハヤタ隊員や帰りマンの郷さんのように「二人で一人」的な設定とは異なるところです。(まあハヤタ隊員もずっと意識が無かった事を考えればセブンの場合と同じなのですが、彼は結局最終回まで誰にも正体を知られていない訳なので事情が異なります。(なお、(注)参照のこと)
最終回、ダンがウルトラセブンである事を知ったキリヤマ隊長以下全員は、改造された怪獣パンドンと戦う傷だらけのセブンを「ウルトラセブン」と呼ばず「ダン」と呼びます。
これ以降、彼らのセリフの中から「ウルトラセブン」なる単語が消えてしまう。「今まで我々のために闘ってくれたウルトラセブンはモロボシ・ダンだったのだ」という認識を得た仲間達が万感の思いを込めてそう呼ぶしかない心情・・・こう割り切れれば感動ものなのですが、敢えて視点を変えるとそこには違った一面も見えてきます。
「ウルトラセブン=ダン」というこの図式。セブンの側から考えればダンこそがセブンにとっては逆に「かりそめ」の姿であったはずです。
「僕は・・・ウルトラセブンなんだ」というダンのセリフ。ダンという地球人である事をセブン自身が否定する。と同時に隊員達はセブンがセブンという宇宙人では無くダンという身近な存在であるという認識に至るというこの皮肉な構図。
セブンが人間「ダン」として過ごした時間の余りの短さを考えるとき(セブンの年齢は「万」単位なんですよね)、自分を「宇宙人」という真実の個性で認識してもらえないという事が彼にとってどれだけの痛みを伴うことだったろうか、とつい逆説的に考えてしまう訳です。
(もちろんこの中には地球人=宇宙人、地球の人間も同じ宇宙に生きる宇宙人であるというメッセージが含まれているのは確かです。)
「死んで帰って行く」かもしれないのはダンではなく、あくまでもセブンという地球に帰属しない異邦人、宇宙人なのです。
このシーン以外にも他の数話で地球人との意志疎通がうまくいかず、人類とは異なる存在の一人の「宇宙人」として悩むダンの姿が数回描かれています。宇宙人でありながら同じ宇宙人の味方をせず地球人側に立つという矛盾した立場・・・、本当は人類の方に非があるにもかかわらず宇宙人を抹殺せねばならない苦しい立場。
これらのエピソードはもしかしたら最終回へ向けての大いなる伏線だったのでないかと思えてしまいます。
セブンの脚本は数人のライター達で描かれていますが、最終回も担当した金城哲夫氏は「沖縄」に拘り続けた沖縄の出身者でした。
放映当時はまだ当然沖縄は本土への返還前です。彼の中にあった日本人(本土人)という存在に対する「異邦人」的な部分や主張が反映されている事はまず間違いありません。ダンが宇宙人として葛藤する話も金城氏が提示したテーマの先にあるのだと思います。
先のアンヌのセリフを換言すれば「沖縄人でも日本人は日本人にかわりないじゃない」君は沖縄人ではなく「日本人だ」とそれまで自らが持っていたアイデンティティを否定される事になりかねないそれは、恐らく当事者にとっては非常に虚しく響いてしまう押しつけがましい言葉なのかもしれません。たとえ善意から出た事であっても当事者から見れば偽善になってしまう・・・
金城氏自身においてもセブンが宇宙人であった期間が圧倒的に長いのと同様に「沖縄人」であった期間が圧倒的に長いのです。 このセリフに「沖縄」以外の他の言葉をあてはめて考えてみても同じような印象を受ける事は多々あると思います。
実は「差別」をしてしまいながらそれを「認識」しないという無意識な「差別」というものもまだまだこの世界にはたくさん存在するでしょう。
金城氏はセブン以降も非常に「沖縄」に固執した脚本も執筆しており、氏の手になるこの最終回にはこういった二面性も含まれているのではないかと思え、セブンの物語により深みとテーマを与えてくれます。
それにしてもスポンサーと制作費の制約の中、ライタ-達の熱い思いが伝わってくる番組でした。
また、金城氏の早世が惜しまれます。
(注)但し、第17話でM78星雲人第340号(つまりウルトラセブン)が地球人の姿をとる時、薩摩次郎の「魂」と「姿」をモデルとしたというセリフはあります。
いや、とにかくこういう細かな話なんて全く抜きにしてもウルトラセブンは素晴らしい作品です。これからも語り継がれる名作だと思います。見る機会があれば是非どうぞ!その名作に対してこの駄文!・・・申し訳ない限りです。