第4029回 『福沢諭吉伝 第四巻』その53<第三 佛門腐敗の攻撃(2)> | 解体旧書

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 石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<著者が編纂上の困難を冒し、健康上の支障を忍び、然も七年の長きに亙りて、一意専心、刻苦勉勵し、遂に此大作を完成したのは、其の勞誠に多とすべく、吾々の深く感謝する所である>慶應義塾長 林 毅陸

<前回より続く>

 

第三 佛門腐敗の攻撃(2)

 

 (「時事新報」掲載)つづき

 又同時に聽衆中の一老僧(曹洞宗信州松本某寺の住職)、態(わざ)と館の控所に來て福澤先生に面會を乞ひ、挨拶終て、本日の演説は實に僧侶頂門の一釘なるを謝し、寺門に於ても此邊は夙に専ら憂慮する所、尚今後は一層の力を盡す可きなれば、學者の社會に於ても人事に盡力せられ、尚佛法保護の事に付ては國の爲に注意せられたしとの旨を述べけるに、先生も固より異議なし、本日の拙論或は激昂に過ぎ個々の僧侶分に對しては些と氣の毒なりと思ひしかども、畢竟國敎を重んずるの熱心に出でたることなれば、一身上の嫌忌は相互に放却して只管(ひたすら)法の爲に即ち國の爲に盡す可しと互に打解け、談話時を移して別を告げたり。何しろ一昨日の演説は開館未曾有の會なりき(明治十五年三月十三日「時事新報」)

 これは固より一瑣事(さじ)に過ぎないが、先生の熱心がいかに人を感動せしめたかの一例として記すのである。扨其時の演説の趣意は

 (前略)維新の初に廢佛の議論を聞て僧侶の狼狽甚し。抑も此議論は新政府に出身したる皇漢學の書生輩が、前年學塾中の夢想を實施せんと試みたるものにて、誠に恐るゝに足らず。此時に當て僧侶が固く其守る所を守て動かず、嚴護法城の大主義に從て、恰も武家の籠城するが如く法城を枕にして討死と覺悟を定めたらんには、書生輩何事を爲す可きや、却て彼等の失策狼狽を來たす可きのみ。然るに僧侶の策こゝに出でずして唯恐怖の心を抱き、百万周旋して苟も免かれんことを求めたるは、敵を見て自から守るを知らず、却て其敵に媚を獻ずる者と云ふ可し。又同時に肉食妻帶免許の令あり。僧侶は此命令を拜承して如何の感を爲したる歟。

  僧侶に精進する者あり、又然らざる者あるは、政府に關するに非ず、全く敎法上の事ならん。親鸞上人が肉食妻帶の敎法を弘めたればとて政府へ伺の上には非ざる可し。

 然るに今日は政府より之を許されて、僧侶中一句の議論なきは、其心事の在る所を知る可らず。我輩固より敎法の義を知らざれば、亦固より其肉食妻帶を咎むるには非ざれども、唯僧侶の不見識に驚て佛法の爲に之を悲しむのみ。

 

 ※■嚴護法城:(厳護法城 げんごほうじょう)厳重に護りぬくこと(「法城」は城にたとえていう語)

 

 <つづく>

 (2024.8.30)