<前回より続く>
第四十五編【附記】 <松山棟庵談「報知新聞」記事(5)>
今度の御病氣にも矢張この六疊にお休みになって居られたので、愈々おわるい様子が見ゆると、廣い部屋にお移し申したらとの話も出たが、夫人は、前年の病氣にも廣い方に移したら少し氣がつくと一所に此室に休みたいと云はれたから、お好きの部屋にお置き申す方が宜しからうと、その事になったので、ご臨終の時など御家族丈でもいりきれぬ程でした‥‥先生は充分御自身の健康をお信じになって居られたから、御大患の前までは「八十まで生き様と思ふが、お前は何うじゃ」と度々云はれた。私も是非先生の八十迄はお伴しませう、生存競爭も面白いでせうと云って居たが、今度の御永逝は是非もない事です。
〇次に先生の特色 は自分の身のまはりの事に人を煩はさないと云ふ事で、一家の主人と云ふものは大體手を鳴らして女中を呼ぶか、直き傍ののものでも家内に取らせると云ふ風だが、先生は却て夫人のなさる事迄も自分でなさった。煙草盆の火が消えても自分に取りにおいでになる。足袋が何所だ、帶は何所だと云ふ様な事もない。書きものをして居られて紙がなくならうが、硯水が乏しくならうが、屹度自分で立たれる。お子さん方の御病氣などで灌腸をして上ませうと云ふと、アーソーか灌腸器を取って來ようと直と立たれる位で、お出掛の時も下駄など直したら却て叱られる位な事でした。例の米搗運動をなさる時でも糠までふるって臼まで掃除して、悉皆始末をされる。碁打の主人が一つの碁盤をさへも片附けぬと云ふ様な無精な沙汰とは大違で‥‥序だが人は大抵一つの仕事を始めるとそれが爲に全心を奪はれて他の事を考へる餘裕のないものだが、先生はこれはこれ、あれはあれと幾つでも平氣に同時に考を分けられた。しかも粗放な性質ならまだしもだが、小さい事に迄前申した通りに綿密で、それで數々の事に當らるゝから珍しい。
<つづく>
(2025.5.15)