<前回より続く>
酒井良明直話(2)
是れは福澤先生も聞いて居られましたし、手紙などにも書附けてあったのです、然るに茲に一つの可笑しい話がありますと云ふのは、信次郎さんを慶應義塾に入れたに就き、春嶽さんは福澤先生を、小石川の邸に招いて御馳走をする事になりました、而して信次郎さんは、幼稚舎に這入ったのだから、幼稚舎長和田義郎と私が、一緒に參りました處が、春嶽さんは先生のお相客として、勝安芳さんを呼ばれ、勝さんが上席で、次が先生、その次が和田と云ふ順序で並びました其時、先生は鐵道論と租税論を春嶽さんに話して居りますと、横合から勝さんが、一寸何か申したのが、先生の氣に觸ったと見え、先生は非常に激昂して、勝さんと大議論を始めました、勝さんも初めは良い加減に受け流しして居りましたが、先生は其頃非常なる雄辯で勝さんに喰って掛かり、君も幕府の役人であってどうかと言出されたので、勝さんも之れに應じて大激論となり、傍に見て居た春嶽さんも、止めるに止められず、非常に迷惑の様子で一座白らけ渡りましたが、段々議論が治まって、終ひに折合ったものと見え、先生の笑顔なども見えて來ましたので、春嶽さんも漸く安心したやうな有様でありました、其處で餘り議論に實が入って、夜の十二時頃になったので、皆な驚いて暇乞ひして歸ったことがありました、春嶽さんと福澤先生とは斯くの如き關係で、時々往來して至って懇親の間柄でありました、或時幕府の老中であった阿部伊勢守の家に、一人娘があって、之れに養子を迎へたいと、阿部の家老の山岡と云ふ者が、福澤先生に其婿を頼まれましたので、先生は私に誰ぞ良い婿はあるまいかと云ふ話でありましたから、私は越前の二番家老の狛と云ふ家の子息に、相當の年配の者があって、次男ではありまするし、彼れならば良からうと思ひますと申出した處が、夫れは結構だと云はれて、先生は其頃馬で往來して居りましたので、早速馬に乘った春嶽さんの處へ駈け附け、狛の次男と阿部の娘さんとの縁組話を致されましたが、春嶽さんも阿部は私の方の親類に當って居るし、夫れは至極良い縁談であらうと云ふので、先生と春嶽さんの兩人が媒酌で、狛の二男が舊福山藩主の分家になって、阿部の家に養子に參ったのであります、
<つづく>
(2026.9.11)