<前回より続く>
≪「全集緒言 西洋事情」(3)≫
例へば政治上に日本にては三人以上何か内々申合せ致す者を徒黨と稱し、徒黨は曲事(きょくじ)たる可しと政府の高札(かうさつ)(法度※の掲示場)に明記して最も重き禁制なるに、英國には政黨なるものありて青天白日、政權の受授を爭ふと云ふ。左れば英國にては處士横議を許して直に時の政法を誹謗するも罪せらるゝことなきか、斯る亂暴にて一國の治安を維持するとは不思議千萬、何の事やら少しも分らずとて、夫れより種々様々に不審を起し、一問一答、漸くして同國議院の由來、帝室と議院との關係、輿論の勢力、内閣更迭の習慣等、次第に之を聞くに從て始めて其事實を得たるが如く尚ほ未だ得ざるが如し。
滿目の人事唯不審のみにして、法律は學者の學問なりと云ひ、代言人は他人の訴訟を引受け罪人の爲めに辯護する者なりと云ふも、日本に居るとき公儀(幕府)に御大法百箇條あるを傳聞したるのみの書生には少しも分らず。民間商賣人の仕事に生命保険會社あり海上保險會社ありと云ふが如き、成程面白き工風なりと思へども、其仕組を詳にするは甚だ容易ならず。彼の郵便事業の取調べに苦しみたるは今に記憶に存して忘れず。佛京巴里(ぱりー)在留中に何れへか手紙を出さんとして其手續を偶然來客の一人に尋ねしに、客は紙入りより四角なる印刷の紙片を出し、此印紙を手紙に張て出せば直に先方へ達す可しと云ふ。夫れは飛脚屋へ頼むことかと問へば、否なとよ、巴里にそんな飛脚屋はなし、町内何れの處にも箱のやうなものあるゆゑ、唯その箱の中に投ずれば手紙は自然に表書の屆先に屆くと云ふ。いよいよ不思議に堪へず。江戸の飛脚屋京屋島屋に手紙を頼むに、江戸より京大阪まで七日限りと云へば、書状一本に付き金貮歩の定價なり。日を限らぬものにても一本に付二三百文を拂ふことなるに、佛蘭西では唯印紙を張れば手紙は恰も獨りで先方に屆く、扨々奇なりと無理に客を引留めて全體の次第柄を聞けども、其日は要領を得ずして相分れ、翌日は此方より客の家に出掛けて不審の殘りを質問し、尚ほ合點行かずして重ねて訪問する等、凡そ時を費すこと三四日にして始めて腹に落ちて、成程旨い通信法なりと獨り感心したるは、他なし、今日我國一般に行はるゝ郵便法なり。
※■法度:(はっと)おきて。さだめ
<つづく>
(2026.10.4記)