第4030回 『福沢諭吉伝 第四巻』その54<第三 佛門腐敗の攻撃(3)> | 解体旧書

解体旧書

石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第三 佛門腐敗の攻撃(3)

 

 (福沢の演説)つづき

 右の如く僧侶の輩は維新の初に於て廢佛の風聲鶴唳※1に驚き、今日に至るまで恰も放心したる者の如くにして、唯政府に依頼し世間に阿(おもね)らんとして、遂に寺門を俗了するに至りしは、誠に歎息に堪へず。古語に「青は藍より出でゝ藍よりも青し」と云ふことあり、我輩は則ち云く「僧侶は俗より出でゝ俗よりも俗なり」と。妄評には非ざる可し。今の僧侶が頻りに顯門に出入して交を官途に求め、官吏を恐るゝこと鬼神の如くするは、明治初年の放心未だ囘復せざるが故なりと雖も、又一方には此輩が政府に近づき、卑劣ながらも官の威光を借用して寺門を鎮撫し、以て一時の安を買はんとするの情なきに非ず。故に是等の僧侶にして、官吏に交るが爲によく周旋奔走する者あれば、則ち名僧の譽あり。俗極ると云ふ可し。

 又名僧以下の輩も其繫多なること實に容易ならず、昨日は某の寺院に説敎の法座あり、今宵は某の茶屋に商社の集會あり、商賣の組合に失敗するあれば、金策の周旋に利益を得るあり、彼處に依頼し、此處に紹介し、賄賂公行※2謟諛※3恥ず、其目的は唯射利の一點に在るのみ。凡そ今の僧侶にして口錢を取ると云ひ世話料を落手※4すると云ふが如きは尋常の談にして、其社會中に怪しむ者なきが如し。加之(しかのみならず)朝野の交際には忙しきを口實に設け、其交際の方便とて花柳に戯れ酒色に耽り醜行(しゅうこう)見るに堪へず。

 近來僧侶に蓄髪※5して俗服を服する者多きは、或は其羽織の袖を以て此醜行を掩(おお)はんとするの策歟。

 

 ※1■風聲鶴唳:(風声鶴唳 ふうせいかくれい)おじけついて、わずかなことにも恐れおののくことのたとえ(「風声」は風の音、「鶴唳」は鶴の鳴き声。中国前秦(ぜんしん)の符堅(ふけん)の軍が敗走し、その敗軍の兵が風の音や鶴の声を聞いただけで、敵兵の追撃と思い、恐れおののいたという故事から)

 ※2■公行:(こうこう)悪事などが盛んに行われること

 ※3■謟諛:(てんゆ)人の気に入るようにふるまうこと。へつらうこと

 ※4■落手:(らくしゅ)送られた物などを受け取ること

 ※5■蓄髪:(ちくはつ)一度剃髪した人が頭髪を再び伸ばすこと

 

 <つづく>

 (2024.8.31)