第4027回 『福沢諭吉伝 第四巻』その51<第二 外國宣敎師に對して(7)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第二 外國宣敎師に對して(7)

 

然るに實際には内外人の交際に大した間違ひもなく、近來ますます厚きを致したのは其因縁一にして足らざる中にも、在日本の外國宣敎師が道徳一偏の主義を唱へ、外商等の群集中に奔走盡力して其心を緩和したるの功徳は最も大なりといはねばならぬ、開國以來日本に到来する外國人が商人のみで宣敎師がこれに伴はなければ、商人等の横行無遠慮は今日に幾して、とても今日の如き内外の交際は見るべからずとは余の信ずる所にして大に違ふことはなからうと、其功徳を賞讚し、それから前項に記した基督敎師の布敎法が其宜しきを得ざる次第を述べて、實際に我國民の心情に訴へた其敎を布かんとならば、信心の熱度を内に潛めて其言行を高尚沈着にして、外見の儀式の如きは勉めてこれを寬にし、不言不行の間に衆生の精神を収め、なかんづく上流の人を導くことが肝要であらう、世間には基督敎の利害に關して種々の點から論を立つる者があるけれども、余は日本國中に於て最も世俗の利害に關係少なき者の一人にして、其思想は自由自在たゞ我國の文明進歩と國民の幸福とを祈るのみである、國民の多數、自由の精神あるものあ必ず余と説を同ふするであらうと説かれ、外國宣敎師の布敎の方法に就て忠告を與へられた。

 即ち先生は經世上に基督敎の功徳を認められたけれども、其頃の彼等の布敎法が露骨急激にして日本人の習慣風俗に戻り、却て人心の反抗を招がんことを懸念せられ、世安のために丁寧親切に其注意を促されたのである。

 

 <つづく>

 (2024.8.28)