第3973回 『福沢諭吉伝 第三巻』その621<第十二 北京救援の出兵(9)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第十二 北京救援の出兵(9)

 

 北清事件は先生病後のときであったけれども、戰後に於ける日本の立國上には利害を同うする強國と事を共にするの必要がある、而して同盟の友國と結ぶには他をして信頼するに足るべき實力を示さねばならぬといふのが豫ての意見で、北京出兵論の如き、此點よりしても特に高調したのであったが、其開戰の劈頭に我陸戰隊が聯合軍中に先登第一の功を立てたのを聞き、日本兵は外國兵に對して決して遜色のない事實を證明し得たとて非常に喜ばれ、我戰死者に感謝の意を表せられたのである。實際に日英同盟の成立したのも、英國が北清事變に際してますます日本の實力に信頼するに至ったことが、其成立を促進するの動機となったのは疑ふべからざるところである。

 本編の記事は日清戰爭から延いて北清事件にも及んだ。北清事件は偶發の出來事であったけれども、其事件に對する我國の態度如何は世界に於ける日本の地位に重大なる關係を及ぼすべきものであった。當時の世論はこれに處するの方針に迷ひつゝあるの觀があった其最中に、先生は北京重圍中の列國人を救出すことは人道上盡すべき義務なりとして、斷然出兵論を提唱されたのであるが、日本人に固有なる仁勇義侠の精神を發揮すると共に、一方にはかゝる場合こそ列國環視の中に日本人の手並のほどを示す好機會と信ぜられたのであった。北京救援の一事は果して日本の名聲信用を高め日英同盟成立の動機となったのである。

 思ふに、先生の持論なる國權皇張論は、世間に耳を傾くる者なきに拘らず、終始一貫多年來これを主張して止まず、遂に朝鮮問題より日清開戰となったに就ては、前にも述べた如く先生の心中には此戰は恰も自から開かれたる心地せられ、愉快自から禁ぜざると共に其責任の極めて重大なるを感ぜられたであらう。されば開戰と同時に平生の態度に似ず非常の奮發を以て大に活躍せられたことは、既記の通りの事實であった。而して三國干渉のために遼東還附の始末に對しては「他日を待つべし」「たゞ堪忍すべし」とて、興奮激昂せる國民の感情を慰諭抑制し、人心の一致を維持して他日の準備をなすことに努められ、内に於ては國力の養成、軍備の充實を計り、外交上には有力なる同盟國を求めて、更に大に進まんとするために老後の努力を致されたのである。「自傳」の末項に自から既往を囘顧して、左の如く述べられてゐる。

 

 <つづく>

 (2024.7.5記)