第3968回 『福沢諭吉伝 第三巻』その616<第十二 北京救援の出兵(4)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第十二 北京救援の出兵(4)

 

 (著者草稿「時事新報」社説)つづき2

 然るに爾來の形勢を察すれば、北京政府の擧動は甚だ怪む可くして、列國に對して着々敵意を表はし、北清地方に在る幾萬の清兵は悉く敵と見做さゞる可らざるに至り、在北京列國人の生命は俎上の肉、風前の燈と一般の危急を見るに及んでは、最早や片時も猶豫す可きに非ず、聯合の大軍を以て當路の敵兵を蹂躙し、直に北京に入て列國の同胞を救ふの外なけれども、如何せん歐米諸強國は孰れも有力なる艦隊を直隷灣頭に繋泊せしむるにも拘はらず、其本國は遠隔の地に在りて速に大兵を送るに便ならず、露國は手近なる旅順より差當り陸兵を出したれども、遼東内地の形勢も甚だ隱ならずして、此上の出兵は到底難しと云ひ、英國は印度より派遣中なれども未だ到着せず、獨逸の如きは公使殺害の報に接して遽(にわか)に大兵の派遣に決したるよしなれども、其到着は數旬の後を期せざるを得ず。

 而して天津太沽の間に在る列國の聯合軍は多くも二萬に過ずして、眼前の清兵に對するさへ甚だ心元なし、況んや北京進入の目的を達するが如き到底覺束なきことなる可し。此場合に際して速に事の急に應じ得るの用意あるものは、獨り我日本國あるのみなりと云ふ。外國人が只管(ひたすら)我國の出兵を希望するも固より其處なれども、今日まで我國が聊か決斷に躊躇の色ありし所以のものは自から偶然に非ざるなり。思ふに日本小なりと雖も多少自衞の用意なきに非ず、清國目下の事を處理するが如き一臂の力尚ほ充分なるを信ずる者なれども、抑も國際の關係は甚だ錯雜微妙にして、一擧手一投足も大に謹しまざるを得ず、殊に我國は世界文明の後進國にして、今囘の擧は立國以來始めて列國と事を共にすることなれば、先進の諸國に對し自から遠慮する所あるは實際に止むを得ざる所にして、列國共に恰も均分の兵力を出し、聯合軍を組織して事に當りつゝある此事件に、日本のみ獨り大兵を派遣して目覺ましき功を立て、列國の上に出ることもあらんには、他の感情は果して如何なる可きや、或は之が爲めに猜忌を招き、國交上の不利を見るが如きことはなかる可きやとは、蓋し我當局者の最も掛念したる所ならん。

 

 ※■一臂:(いっぴ)片方のひじ。片方の腕。転じてわずかな力。少しの助力

 

 <つづく>

 (2024.6.30記)