第3969回 『福沢諭吉伝 第三巻』その617<第十二 北京救援の出兵(5)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第十二 北京救援の出兵(5)

 

 (著者草稿「時事新報」社説)つづき3

 彼の倫敦タイムス記者が、日本は短時日内に目下の事業を擔任するを得べく、又文明立國間に立て其職責を盡すの用意ありと雖も、確然たる招請あるに非ざれば自から進んで事に當るを好まざる可し云々との言は、自から穿ち得たるの評と云はざるを得ず。日本人豈に他志あらんや、現に自國の公使居留民は北京重圍の中に列國人と危急を共にして日夜救援を渇望しつゝある其境遇を思へば、一國の私情よりするも大兵疾驅これを救はんとするの情は敢て外國人に譲らず、否な我國民は恰も眼前に危急の情態を眺めつゝあることなれば、其情は他に比して更らに切實ならざるを得ず、實に堪へ難き情に堪へざりしことなれども、一方を顧みれば國交際は甚だ重大事にして、私情の爲めに之を等閑に付するを得ず。

 列國の意向果して如何、日本の出兵を喜ぶか喜ばざるか、思ひ切て出兵するも果して他の感情を損することはなきや、國交の不利を來すことはなきや、當局者の容易に決するを得ざりしは之が爲めにして、我輩に於ても竊に其衷情を察する所なり。或は之を以て一概に過憂と云へば過憂ならんなれども、何を申すにも日本の後進國が始めて世界列國の仲間に入りて軍國の事を共にしたることなれば、此邊の配慮も無理なき次第にして、或は外國人の中には我出兵の遅々たるを咎むるの口氣あるも、日本人は寧ろ外國人の手前を氣遣ひたるものにして、實際にはいつ何時出兵するも差支なきの用意を整へながら、只管(ひたすら)列國の意向如何を窺ひたるのみ。

 然るに今や事體ますます重大に、形勢ますます切迫すると同時に、列國の日本に對するの意向も明白と爲り、孰れも好意を以て我國の出兵を迎へ、一日も早く北清の秩序を囘復し、其官民を救ふと共に、列國の利害を保護せんとするの情甚だ切なりと云ふ。事情既に斯くの如くなる上は、我國たるもの安んぞ寸時も躊躇す可けんや、命令一發、直に出兵を斷じたる所以にして、昨今續々出發中なれば、日本の大兵が文明聯合軍の先鋒として、北清の野に支那兵を一掃し、直に北京に入りて目的を達するは、當に遠きに非ざる可し。

 

 <つづく>

 (2024.7.1記)