第3964回 『福沢諭吉伝 第三巻』その612<第十一 海軍擴張と日英同盟(8)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第十一 海軍擴張と日英同盟(8)

 

 (「時事新報」社説)つづき2

 扨て露國が亞細亞の東邊に跋扈するは、英國人の利益を妨げ感情を害して到底默許すること能はざると同時に、又日本の利益にもあらざれば、今日の我國情にしても、苟も露國をして滿洲若しくば朝鮮の地方に不凍港を得ることなからしむる爲めとあれば、國力の許す限り如何なる畫策運動も敢て辭せざる可し。是即ち日本國と英國と期せずして利害を共にし目的を同ふし、又同情相感ずる所の一點なるが故に、期せずして成る可き兩國の同盟は、所謂天然眞乎の同盟にして、其堅固なることは普通紙上の空約に勝ること萬々たり。

 斯の如き同盟にして愈々實際に成立して、緩急相應じ海陸相援ることゝもならんには、兩國の爲めに非常の利益なるは云ふまでもなく、而して其利益に浴するの深淺厚薄に至ては、英國と日本と異なる所ある可らず。左れば英國の政治家にして果して世に名を成したるが如く、自國の光榮利益を見るに敏なる者ならんには、目下の形勢を察して、極東の新強國と同盟するに聊かも躊躇する所なかる可しと、我輩の確信する所なり。

 或は平時に他國と同盟するは英國從來の慣例になき所なれば云々とて異議を唱ふる者もあれども、英國が是れまで同盟を離れたる所以のものは、敢て他國と同盟する其事を避け嫌ふたるに非ず、唯露國南進の防禦に就き、世界の強國中英と利害を同ふする者なきを以て、已むを得ず孤立したるのみ。若しも等しく利害を感じて、實力以て相與に共同の敵に當らんと云ふ者あらば、機敏なる倫敦の政府は之を歡迎して、其力を借ることに躊躇せざるや疑を容れず。現に英國は露西亞を防ぐ爲めに、支那の如き土耳格(トルコ)の如き腐敗國すら味方にして之を保護したるに非ずや。況や日本に於てをや。我輩をして強ひて云はしむれば、日英同盟に由て利益を享ることの多き者は、日本よりも寧ろ英國なりと斷言するを憚らざる者なり(明治二十八年六月二十一日社説)

 これが實に日本に於ける日英同盟論の第一聲であって、爾來「時事新報」は其同盟の必要を力説して止まなかった。然るに我國の政界には老政治家を始め朝野の間にも日露協商の論者少なからず、外交の大方針に關しては一定の説がなかったのであるが、東洋の大勢上日英兩國の意見一致して、明治三十五年遂に日英同盟條約の成立を告ぐるに至った。

先生は其前年に逝去して生前に此結果を見られなかったけれども、遼東還附以來凡そ七年、日英同盟の實現せられたのに就ては「時事新報」が終始其必要を高調し、國論をして此方向に向はしむることに努めた其努力の空しくなかったことは、先生の定めて滿足せられたところであらう。

 

 <つづく>

 (2024.6.26記)