第3958回 『福沢諭吉伝 第三巻』その606<第十一 海軍擴張と日英同盟(2)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第十一 海軍擴張と日英同盟(2)

 

 官民調和は先生の宿論であって開戰以來も常にこれを主張せられたが、戰爭の末期に近づかんとするに當り、講和の結末といひ戰後の經營といひ、事のますます多端なるべきを思はれ、此好機會に朝野の老政治家を網羅して有力なる政府を組織し、以て戰後に於ける重大なる時局に當らしめんとの精神からして更に繰返して勸告せられたのであるが、政府は戰時中財政の始末が重要であるとの理由で、松方を大藏大臣として入れたのみであった。

 もし其他の人々にもそれぞれ地位を與へて事に參せしめたならば、自から人心を緩和して政局を圓滑ならしむるの效果があったであらうに、講和談判並に干渉事件の始末の如き大切の場合にこれを除外し、自から功名を専にするの姿を成して世間の感情を害し、戰後の政界を改善するの機會を空ふし、再び官民紛爭の舊態に立返ったのは、先生の深く惜まれたところであった。

 三國干渉、遼東還附の始末に關する先生の態度は「他日を待つべし」「たゞ堪忍すべし」とて、國民に向ってひたすら自抑自制を勸告せられた其勸告は、單に人心を慰撫して一時の姑息を謀らんとするためではなく、隱忍自重大に奮勵努力して、他年一日必ずや他國の干渉に報復するまでの實力を養ふべしとの精神なることはいふまでもない。されば戰後經營の第一着手として大に主張せられたのは軍備の充實特に海軍の擴張であった。

 海軍力の不足は從來我軍備の弱點にして、現に今度の戰爭に就ても此一點は大に懸念せられたところであったが、幸に支那の艦隊は恰も紙張子の虎の如く、たゞ外形のいかめしいのみであったので、我大勝利に歸したのであるが、三國干渉の來た場合に直ちに彼等の勸告を容れざるを得なかったのは、當時我陸軍は其精鋭を擧げて海外の敵地に在った上に、我艦隊は殆ど自國の沿岸を空うして其主力を臺灣方面に向けてゐたところに、露國の如きは其東洋艦隊を我港灣に集中して戰闘準備を整へつゝあった。事もし一旦破裂せばいかなる事態に立至るやも圖るべからざるといふ實状こそ、餘儀なく彼の勸告を容るゝことゝなった次第で、此經驗は現實に我海軍力の不足を痛感せしめたのである。

 

 <つづく>

 (2024.6.20記)