第3957回 『福沢諭吉伝 第三巻』その605<第十一 海軍擴張と日英同盟(1)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第十一 海軍擴張と日英同盟(1)

 

 斯くて三國干渉事件は我上下一般の堪忍によって無事に終了したが、これに對する不平不滿の感情は政治問題となり、當局者の問責案が議會に現はれて、戰後に於ける政府の施設上に少なからぬ障害を及ぼすに至った。これより先き戰爭の末期に近づきつゝあったとき、先生は更に官民調和論を高唱せられた。即ち開戰の當初、戰爭中苟(かりそ)めにも國内に不和不平の沙汰を見ることもあらば、軍國のために容易ならざる次第なりとて、前掲「日本臣民の覺悟」に於てくれぐれもこれを誡められたが、爾來全國一致して國内に何等の異言もないので大に安心せられたけれども、戰局大に發展して或は終結もさまで遠くはなからうと思はれたとき、此機會に在野の元老を政府に入れて事を共にするの必要を説いて、當局者に勸告せられた。

 其概要は

 「我軍が嘗て『一大英斷を要す』とて、政府に東洋經綸の政略を執り事を外に繁くして内の人心を轉ぜしむるの方策を勸めたのは、從來紛糾を重ねて來た國内の政爭を堪へ難く思ひ、かゝる手段も自から一策ならんと實は窮餘の思ひ付であって、世間に耳を傾くる者もなかったところ、偶然にも朝鮮事件を生じ、引續き日清の開戰となったのは、恰も我輩の空想を實にしたもので思ひがけない次第である。今度の戰爭は決して内の政略のために發したものでないことは事實明白なれども、これがために國内の一致を催し、官民間多年の紛爭も其跡を収めたのは偶然の仕合せである。

 國家の大事に際すれば衆心一致して外に對するのは日本國民の特性であって、かゝる折こそ年來の感情を根柢から一掃して永久に跡を絶たしむるの好機である。今日まで事の衝に當ったものは政府の當局者にして、局外者は拱手傍觀してゐたやうなものであるが、目下の如き國家の大事に當っては平生の感情地位の如何を問はず、苟も國家の元老と認むべき者は一人も餘さずこれを政府に入れて事を共にし、國民一致の實を収むるのが至當である。戰爭の結局の遲速は兎も角も戰後の國事はますます多いのであるから、民間に在る大隈板垣は勿論、松方後藤其他の如き當世の老政治家として世人の推量する人物を入れて事に參ぜしめる必要がある。若しも當局者が此際躊躇して斷ずることが出來ないときは、其心事に疚(やま)しきところなしとするも、或は獨り其功を専にするためにこれを欲しないのであらうと邪推する者があっても、我輩はこれを辨解するの言葉がないのみか、事の始まる時には政治上の有様は再び從來の舊態に立返り、人心一致の好結果を空うするであらう」と勸説された。

 

 ※■拱手:(きょうしゅ)古代中国の敬礼。両手を胸の前に組み合わせながらお辞儀をする。喜ばしいことが起きた際は、男性は左手を、女性は右手を前に組む。悪いことが起きたときは、男性は右手を、女性は左手を前に組む

 

 <つづく>

 (2024.6.19記)