第3955回 『福沢諭吉伝 第三巻』その603<第十 李鴻章遭難と三國干渉(7)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第十 李鴻章遭難と三國干渉(7)

 

    唯堪忍す可し

 國と國と相對して治にも亂にも自國の榮譽を全うするは中々容易ならざることにして、政府の外交官は唯國民一般の後楯を以て交際を料理するのみ。左れば國民たるものが一旦事あるに臨んで粉骨碎身、國の爲に一命を棄るは勿論なれども、外交の變化は秋の天の晴雨定らざるが如く、朝に友にして夕に敵たることあり、虚を以て嚇すもあり、虚より實を生じて事實に動くもあり、兵法に云ふ虚々實々の掛引にこそあれば、其入組たる場合には單に命を棄るのみ能事に非ず、啻に能事に非ざるのみか命を棄てゝ却て事を破るの例さへ多ければ、忘れても輕々しき擧動ある可らず。要は唯堪忍して時節を待つに在るのみ。

 例へば今度の講和談判も、吾々國民が最初に心に待設けたる所と相違して、聊か不平なきに非ざれども、世界の勢に於て今は唯無言にして堪忍するの外ある可らず。滿腹の不平不愉快は吾々の生涯これを忘れず、子孫も亦忘れざることならん。其不平不愉快こそ奮發の種なれば、心の底の深き處に是れと目的を定めたる上は、年月の長短を問はず、國中四千萬の吾々は一心一向に商賣工業を勉強して國力の富實を謀り、萬事萬端、國の身代を慥にしたる上の分別として、夫れまでの處は假令ひ腕に千鈞を擧ぐるの力あるも、表面は婦人の如くにして外來の困難を柳と受流し、言ふて返らぬ既往を言はずして無言の中に堪忍す可し。俗に云ふならぬ堪忍を堪忍するとは此事なり。

 右等の趣意は毎度時事新報に記して讀者に於ては又してもうるさしと思ふならんなれども、記者の老婆心は自から禁ずること能はず、廣き世の中には随分短氣なる人も多し、假令ひ讀者は既に事の道理を合點しても、其道理を廣く世の中に傳へて方向を定めしむるこそ長者の義務なれ。花鳥風月の會席、茶話の序にも、懇々人に説き聞かして過を少なくするは、自から報國の一端なる可し。

 

 ※■千鈞:(せんきん)非常に重いこと。きわめて価値の高いこと(「鈞」は重さの単位で、1鈞は30斤。1斤=160匁で約60g)

 

 <つづく>

 (2024.6.17記)