第3950回 『福沢諭吉伝 第三巻』その598<第十 李鴻章遭難と三國干渉(2)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第十 李鴻章遭難と三國干渉(2)

 

 (福沢の「時事新報」社説)つづき

 李伯遭難の急報大本營に達するや、天皇陛下は特に勅使を賜はり醫員を差遣はされ、官民の人々は直に彼の旅館を訪ひ又は電信を發して安否を尋ね、醫師は詰切にて治療を施す等、既に人事のあらん限りを盡しつゝある今日なれば、此點に就ては毫も遺憾あることなく、主客共に滿足する所なれども、爰に奇怪なるは、世上の俗物が公私を混同したる俗論を論ずるの一事なり。日清の關係に付き李が講和使として渡來したるは連戰連敗の窮餘、如何なる條件にても和議をさへ許せば之に伏するの覺悟にこそあれば、我思ふ所を命じて目出度く局を結ぶ可しと待設けたる其折柄、圖らずも今度の事變、左りとは敵國ながらも聊か氣の毒なりとの情なきを得ず。

 傲慢無禮の老大國に立向て上段に構へ、今や一刀に切下げんとする其手元も、覺えず知らず少しく緩みたるが如くなれば、或は我政府の當局者に於ても、兼て彼の冀望する休戰を許し、又は償金割地の條件に就て多少の手心を催すこともある可し、故に支那の爲めに謀り李の遭難は李一身に不幸にして、國の爲めには却て僥倖ならんなど、喋々これを言はざれば心竊に之を期するものなきに非ずと云ふ。實に驚入りたる次第にして、我輩は一言これを許し、事の公私を辨ぜざるの愚論、人情と道理とを分たざるの妄説として、根底より之を排撃するものなり。

 抑も李鴻章の遭難とは何ぞや、人事不省の死愚とも云ふ可き一狂漢が熱に乘じて銃撃を試み、不幸にして李氏が其彈に中りたることにして、事の次第柄を喩へて云へば、無頼少年が窮迫の餘り自殺せんとして、獨り死ぬるは物足らずとや思ふならん、動もすれば青樓に登り初對面の娼妓に情死を迫りて共に死する者あるが如し。無辜の一婦人誠に憐れむ可しと雖も、斯る狂漢に見込まれたるこそ不幸なれ。李鴻章も亦小山六之助なる狂人の爲めに、冥土の道連と見込まれたることなれば、情に於ては誠に憐む可しと雖も、此不幸の一事を以て日清の大關係を輕重せんとは無稽も亦甚だしからずや。

 

<つづく>

(2024.6.12記)