第3943回 『福沢諭吉伝 第三巻』その591<第九 旅順虐殺の辨明(1)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第九 旅順虐殺の辨明(1)

 

 開戰以來海陸に於ける我軍人の戰闘行為は一擧一動文明社會に行はるゝ戰時法規に違はずして、文明軍たるの本色を發揮したので、世界の賞讚を博し好評嘖々※1たるものがあった。然るに旅順攻略の際我兵士が無辜※2の支那人民を虐殺したとの風評が外國に傳はり、無責任なる新聞紙は針小棒大の噂を記載し、日本人は文明の假面を脱して野蠻の正體を現はしたりなど、無禮の評論を喋々して人心を煽動し、爲めに外交上にも影響を及ぼさんとするに至った。先生はこれを容易ならざる問題なりとし、著者をして左の一文を草して「時事新報」に掲載せしめられた。

   旅順の殺戮無稽の流言

 我旅順の大勝に付き、外國人などの中には、其殺戮の多きを聞て往々説を作す者あり。日本人の勇武にして戰爭に巧なる、作戰の計畫寸厘も誤らずして、敵の頼切(たのみきっ)たる堅固の旅順城を僅々の時間に陥れたる其手際は實に比類稀なる功名にして、只管感嘆の外なけれども、惜しむ可し、勝に乘じて多數の支那人を屠殺したる一事は世の中の譏を免れず、此惨酷なる最後の擧動は全く戰勝の名譽を抹殺するに足るなど論評して憚らざるものあるよし。

 局外に悠々たる外人等が事の前後に注意せずして、一時一處の出來事に耳目を奪はれ、匆々見聞して匆々判斷するときは或は此種の論評も無理ならぬ次第なれども、事の當局者たる吾々日本國民は、凡そ我軍隊の擧動に就て漫然看過するを得ず、其一擧一動も頴敏※3に視察するの常にして、自から外人に異なり、左れば旅順の事に關しても、今日まで我輩の視察し得たる所を以てすれば、我軍人が無辜の支那人を屠戮※4したるが如きは實に跡形もなき誤報なりと云ふの外なし。或は日本人は日本の利益の爲めに言を左右するなど邪推する者もあらんかなれども、事實は則ち事實にして爭ふ可らず。之を其以前に徴せんに、日本の軍隊は眞實紛れもなき文明の軍隊にして、其敵に對するの寬大にして慈善心に富めるは今更ら喋々するを要せず。

 

 ※1■嘖々(さくさく)口々に言い立てるさま。盛んに褒めそやすさま

 ※2■無辜:(むこ)何の罪もないこと

 ※3■頴敏:(えいびん)才知鋭く、物事への理解・判断にすぐれていること

 ※4■屠戮:(とりく)からだを切りさいて殺すこと

 

 <つづく>

 (2024.6.5記)