第3930回 『福沢諭吉伝 第三巻』その578<第七 先生の私金義捐(3)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第七 先生の私金義捐(3)

 

 (福沢の「時事新報」記事)つづき

 英國の臣民決して妄漫なるに非ず、其國力の餘勢自然に國民の言行に溢れて、知らず識らずの間に左もある可きことなり。決して咎む可らず、唯傍觀して羨む可きのみ。老生の如きは三十餘年前毎度外國に渡航して、親しく事の實際に觸れ、親しく其酸甘を嘗めたる者にして、嗚呼我日本國も早くも支那流の陋習を脱し、文明開化の新主義に從て百事を一新し、文を修め武を講じ、上下協同して國權の擴張を謀りたらんには、今日の此苦痛はなかる可きものをと、獨り自から涙を呑んで通宵眠らざりしは毎度のことにして、當時の感慨は今尚ほ忘れず、畢生の心事唯この一偏に在るのみ。

 然るに我國運の進歩は實に豫想外にして、殊に王政維新以來は更に一面目を改め、今や日本國は東洋文明の先導者と爲り、隣國朝鮮の國事を改革して、尚ほ進んで大に爲すことあらんとする其際に、圖らずも支那人の妨る所と爲りて既に戰端を開き、今後の形勢計る可らずと雖も、我れは文明開進の爲めに戰ふものにして、事の成敗は單に日本國の利害のみに非ず、東洋文明の浮沈に關する一大事なれば、其先導者たるものは百難を冒しても唯進むの一方あるのみ。

 進んで事を成して老大國儒流の腐敗を一掃し、文明の光と共に我國光を世界に耀さんか、退て他をして妄漫を逞ふせしめんか、進退の決斷唯今日の一擧にして、其頼む所は我外交略の巧拙と我軍隊の強弱如何に在るのみ、通俗に之を云へば、今後吾々日本國人が文明の世界に顔を出して、商賣の事に就ても交際の事に就ても、肩身を廣くして威張るか、他人の後に蟄伏して輕蔑を受るか、唯今度の成敗に由ることにして、僅に三十年の其間に、我國力の斯くまでに増進したるは愉快の限りなれども、若し萬一も仕損じたらば之を如何せんと、一喜一憂、手に汗を握りて心配に堪へず。

 凡そ戰爭に負けても苦しからずと云ふことはなけれども、今度の戰爭は三百年來吾々の祖先も知らざる外戰にして、自から從前の内亂に異なり、如何なる事情あるも如何なる困難あるも、全國四千萬人の人種の盡きるまでは一歩も退かずして是非とも勝たねばならぬと、約束の定まりたる此大切なる大戰爭に、苟も資金を以て成功を助るに足ると聞けば、如何にしても聞捨にす可らず。乃ち家内相談の上、金一萬圓を軍費として醵出することに決したり。

 元來老生は世間流行の醵金を好まず、事物の前後緩急をも視ずして、何々の紀念何々の建碑など、聞くも煩はしく思ひ、一切寄付けずして門前拂ひ、時に或は大に反對したることもあり。

 

 ※■蟄伏:(ちっぷく)表に出ずにこもっていること。ひそんでいること

 

 <つづく>

 (2024.5.23記)